今回の旅を「尾張古圖」を簡略化したイラストを借りて赤で囲んでみました。
この地形では船を操る海人族でなければとても生活できなさそう…。
岐阜新聞での連載「ぎふ海紀行」より1998年2月4日付の記事を参考にしました。
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世に三河国賀茂郡猿投神社および尾張国葉栗郡玉井神社所蔵の古図と称するものがある。その描くところによると、濃尾地方は一面の海で、中央に中島郡の孤島があり、その南に日置、津島、戸田、長島、枇杷島などの数島が碁石のように点々とし、また長良河口に東、西、中などの六つの島があり、今の金華山の辺に岐阜山と注し、その西に磯島などを描いて、濃尾地方が広漠とした海湾であったことを示している。
伊吹山の神によって傷つき、養老で「足がたぎたぎしく」(疲れるの意味)なり、鈴鹿の能褒野(のぼの)で「大和し美し」と望郷の歌を詠んで死んだタケルは架空の人物だが、壬申の乱(672年)で挙兵した大海人皇子(後の天武天皇)は、この逆ル-トを進軍したとの見方もある。
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18日はJR蟹江駅から始まりました。
次に南西の方角へ下り、海部郡蟹江町の「富吉建速神社八劔社」。
名古屋へ移動して「物部神社」。
↓尾張星の宮「河原神社」
↓「星神社」
19日は「熱田神宮」から↓
↓本星崎「星宮社」
↓火上山「氷上姉子神社」
↓「菟足神社」
もともと町中にある神社は苦手な上、2日間とも気温が34℃ !!
久しぶりに日傘をさして歩きました。
上記の他、祠のみが1社、子供の遊び場と化していたのが1社。
地形・由緒など調べなくてはならないことが多いとはいえ、
やっぱり山が好き。今度はいつ登れることやら…?