こんにちは! 今日も暑いですね~。
午前中に熱田神宮および元宮などをまわってきました。
(Wikipedia より)
しかも、様々な場所から重要な祭神を集めて組織された集合体のようなのです。
元宮の一つ氷上姉子神社は尾張国造乎止与命の本拠地だった火上山にありました。
仲哀天皇の御代(195年)に乎止与の娘 宮簀媛を祭神として創祀され、
熱田神宮の創祀に
尊のお妃である宮簀媛命は、神剣をここ熱田の地にお祀りになられました」
とあることから元宮とされる氷上姉子神社。
ただし熱田神宮の祭神は「熱田神」で、
公式ページにこうあります。
すると「熱田神」と乎止与命に始まる尾張氏との関係は?
文献で「熱田神」が確認できるのは822年の『日本紀略』からだそうです。
なぜ一ノ宮にならなかったのでしょう? 比類なき古社のはずですが?
たしか伊吹山山頂にありましたね。
ここ尾張氏の火上山に大切な剣を置いて行ったとは!?
…話を戻しましょう。
その妻マシキトベを祭神とするのが同下知我麻(しもちかま)神社で、尾張の豪族
尾張大印岐(おはりのおほいみき)の娘マシキトベは健稲種命と宮簀媛の母とのこと。
この元宮が星宮社(扁額は「星崎宮」ですね)にあるらしいので行ってみることに。
写真を撮っていて奥の「上下 知我麻神社参道」の小さな看板を見つけました。
階段を上ってゆくと、小さな祠が並んでいます。
まさに人知れず(社名の扁額も掲げず?)ひっそりと鎮座していました。
下知我麻神社がその妻「真敷刀俾(マシキトベ)命」。
トベとは、ナグサトベ・ニシキトベら神武東征以前の縄文の女酋長の名ですが?
伊勢神宮などの反対により否決されたそうです。…で、社殿のみお伊勢さん風!?
↓別宮「八剣宮」
三ノ宮の謎については、もう少し調査が必要ですね。
帰途、名古屋からではなく、豊橋から新幹線に乗ることにして
小坂井駅近くの菟足神社へ行きました。
わが故郷に「鵜足明神」があり、古代は漢字より発音重視なので興味を持ちました。
由緒を読むと、徐福伝説との関わりとか、秦氏が創祀したとか書かれているため
宇多津(鵜足津)との関係はわかりませんが、社地や周辺からは縄文時代早期から
晩期にかけての土器が出土しており、「菟足神社貝塚」の案内板もありました。
祭神 菟上足尼命は穂(東三河)の国造だったそうです。
最後に菟足神社の神楽殿。
帰宅後、「ウタリ」のことを調べていたら、私と同じく讃岐の「鵜足」と
菟足神社のつながりに着目している方がかなり居られました。
この件は追々調べますが、驚いたのは熱田神宮の祭神というか御神宝たる
草薙神剣が当社にあったとの説です?!
祟りであったため朱鳥元年(686) 6月に草薙剣を返却し、大宮や別宮諸神社を
造営して12月に新宮に遷宮の儀を行なった記録があると書かれています。
別宮八剣宮創建の勅命を発したのは元明天皇で、
『伊勢二所太神宮神名秘書』によれば、熱田社の草薙神剣は
新たに七本のレプリカを作って八剣宮となしたとか。
資料によってデータの相違が見られますが、病が草薙神剣の祟りであると言われた
草薙神剣があったという菟足神社が秦石勝により現在地に遷されています。
祭神の菟上足尼命は、
穂の国(現在の東三河地方)の国造に任ぜられたとあります。
そもそも神話から歴史を紐解こうとすることが間違っているのかもしれません。
ですが、古代の歌も(私のような研究者は)記紀歌謡に頼るところ大ですので。