藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

因幡

鳥取泊まりで午前中は宝木へ。
宝木が伯耆につながるのかもしれないという疑問から。
駅からすぐの小山の麓に母木神社がありました。
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由緒書がありました。"麒麟獅子舞"とは伊福部氏と関係があるかも知れませんね。
"麒麟獅子舞"が盛んな鳥取県東部(因幡)兵庫県北但西部(但馬)には
伊福部氏関連の神社が数多くありました。
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元は八幡宮、明治に母木神社と改称したとあり、神仏分離され修験が禁止された
明治初年には、○○明神→○○神社という改称だけではなかったことが窺えます。
 
宝木から鳥取へ戻る電車まで丁度1時間あったので少し歩いて富吉神社へ。
先日行った蟹江駅近くにも富吉神社があり、既に祠だけになっていましたが、
読みも同じ「とみよし」だったので同じ祖神・祭神ではないかと行ってみました。
残念ながら由緒書はなく、村社としかわかりませんでした。
稲穂が夏の日差しを浴びてよく実っていました。
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午後一番は因幡国一之宮宇倍神社です。
社殿に入らせて頂いたのは結婚式以来…。
久しぶりに聞かせて頂いた金田宮司様の祝詞が素晴らしく、感動しました。
伊福部先生と私共夫婦の縁しを祝福して下さり、過去と未来をつなげることの
大切さを説いて下さいました。益々古代歌謡の研究に精進いたします。
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和歌などの古い日本の歌を、歌の心よりも解釈を重視する風潮があるのは残念、
生きた日本の歌を奉納してくれて有難うとの身に余るお言葉を頂戴しました。
もっともっと様々なお話をさせて頂きたかったのですけれど、
観光タクシーを頼んでいたので早々に失礼してしまいました。
 
先ずは、前回「瀬織津姫像」に恐れをなし演奏できなかった面影山の櫻谷神社
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次に倉吉でも行った倭文神社。倭文部が渡来人って本当でしょうか?
以前、倭文(しづ)織は日本古来の織物、唐織は渡来の織物と聞きましたが?
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ここから直線距離で350mほどの藤森神社を目指しますが、車一台が通るのも
困難な道をクネクネと1km以上進み、ホントにここに神社があるの? と
不安になるような路地でおろされました。
「川(用水路?!)を渡って上がって行くとありますよ」と言われたので
先の見えない階段をのぼることにしました。
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一人で来ていたら絶対に登らなかったでしょう。この9段の先が見えないのです。
直ぐに突き当たると右にしか曲がれず、人一人がようやく通れる道を進みます。
草ぼうぼうでヘビが出てきそうで怖い!! と思ったら黒いトンボが!?
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「カミサマトンボ」とも呼ばれるハグロトンボ(羽黒蜻蛉)はお盆の頃に現われます。
お腹が鮮やかなエメラルドブルーがオスで、全身が黒いのがメスだそうです。
メスは、宝木の母木神社にたくさんいました。
川トンボなので清流の近くに生息し、水質が悪化すると激減するのだとか。
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真っ直ぐの階段になると新しい社殿が見え、地形に驚きを禁じ得ませんでした。
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こののち片山神社へ行くと、上記2社が隣接している鳥取自動車道と河原バイパス
によって集落と切り離され、社殿と鳥居が妙にズレてしまっていました。
鈴鹿峠片山神社は焼失していたし、なかなか厳しい情況の片山日子です。
たたら製鉄とは切り離せない隻眼の神ですが…。
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