一瞬「アサギマダラか?!」と期待しましたが、ツマグロヒョウモン♂でした。
M先生が撮影しながら至近距離まで近づくという神業で撮って下さいました!
あまりに動きが速くて上手く撮れませんでしたが、黒アゲハも結構いました。
ここが今回の旅のメイン朝立彦神社です。
ただ、資料が少なく、標高さえもわからぬまま行きました。
「標高700mに鎮座」と書かれたブログを見て、大変そう…と覚悟していましたが、
ちょっとこれまでに見たことのないタイプの森林です。
少し歩くと結界が張られていて(?)神域らしい雰囲気になってきました。
新しい鳥居の先の石積みの階段が横倉山 横倉宮のイメージと重なります。
明治4年に改称された朝立彦神社です。
(私は当然ながら「護王」と「蔵王」との関連を疑って来たわけですが)、
「和多津見豊玉彦命を祭る。飯谷村に在り、俗に権現と云う」とあったそうです。
祭神は豊玉毘古命、豊玉姫命という安曇族の先祖神です。
ただし『微古雑妙』には阿田賀多須命(大国主命 六世孫)とあるそうで、
阿田賀多須命が「阿佐多知比古」に似ているとの説もありますが?
大三輪氏の同族とされる阿田賀多須命から分かれたのが胸形(宗像)氏なのだそうで
そうなると、海人族の一大拠点たる長ノ国の支配者は
渡来系海人族に取って代わられていたことになります。
しかし、当社の古代祭祀場は明らかにそれ以前のものでしょう。
このような岩盤の上に社殿がある点も横倉宮に似ています。
こちら北側の岩盤は日が当らないため苔生しています。
社殿の裏へまわり南側へ出ると↓
あッ!? ありました!! 「応潮泉御甕」(潮の満干に応じて水量が変化するという甕)です。
古来旱魃の折に雨乞いの祈りをすれば大雨が降ると伝わります。
『阿府志』に
「社中に怪岩あり、頂面平らかにして凹なり 水溜りて池の如し、俗に御瓶といふ。
潮瀧る時に水外に溢る」とあるそうです。
日照りに雨をもたらし、長雨に雨を止める能力を持っていたとされています。
すると、その六世の孫阿田賀多須命が「阿佐多知比古」でもおかしくありません。
しかし神楽歌の新しいレパートリーを歌えて大満足の私には、神話や祭神よりも
標高が気になります。ここからはかなり遠くまで見渡せるので…。
蝶にひかれて社殿の東にある展望台へ行くと「四等三角点」がありました!
朝立彦神社は標高323.9mだとわかったので、平石山(648.8m)の中腹ですね。
山腹の350mあたりまでが温州ミカンの栽培地だそうです。
見晴らしの良さはもちろん、古代祭祀の現場(跡!?)に立てて本当に幸せでした。
演奏修行を続けてきた甲斐がありました。
M先生、奥様、次回も是非よろしくお願い致します(既に計画中!!)。