新山口から「さくら」に乗りました。
今月の「やまとうたのふるさと」は因幡国なのに?
こんな突拍子もないルートをとるのは私くらいのものでしょう。
3月の山口行きで金峯神社へ行けなかったため再訪することにしたものの、
山口 or 萩から島根経由で鳥取へ移動するのは時間がかかり過ぎます。
そこで新幹線で姫路へ行き、播磨国一之宮伊和神社へ行くことにしたのです。
伊和神社は「伊和坐大名持魂神社(いわにいますおほなもちみたまのかみやしろ)」と
何となく英賀神社、阿保神社とも関連がありそう…と期待しています。
残念ながら時間がおして阿保神社へは行けませんでしたが、
英賀神社と伊和神社の関係はわかりました。
祭神の英賀彦、英賀姫が伊和大神の御子ということらしいです。
また司馬遼太郎氏の父・祖父の代に隣の廣幡に住んでおられた縁で
「播磨灘物語」の文学碑が英賀神社本殿脇にありました。
本殿の奥には親神たる「一ノ宮社」「塩竈社」「琴平社」が祀られていました。
駅へ戻った後は山崎までバス。
そこから電車やバスの通っていない道をタクシーで北上します。
今日もいい天気! 一之宮伊和神社に着きました。
伊和神社というくらいだから岩があるんだろうと思ったら、ありました。
(「いわ」「いは」といった類の混同は神楽歌でも「なを」と「なほ」等あり)
えええ~なんですか、コレ↑
それどころじゃない、コッチ↓はトホホの脱力もの…(もしかしてザシキワラシ?)。
いやあ珍しいものを見せて貰いました。
顔から汗が飛び散るほど暑い中、修行にも勤しんでおります。
かなり広大な社地で、やはり磐が多かったですね。
更に北上し、音水湖近くの金山神社。ほとんどマッタテですけど…!!
更に北上し、若桜鉄道の手前で右折すると屋堂羅地区の入口に意非(おひ)神社。
千年以上の歴史をもつ古社の社殿が新築されていました。
この意非神社から見える↓「三百田氏住宅」(若桜郷土文化の里)。
ここまで来て若櫻神社へ行かないのもどうかと思いますが、
取り敢えず単純に由緒の古い意非神社を選びました。