藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

抗日人民軍 Hukbalahap

関空へ向かっています。
明日の朝が早いので今晩は友人と落ち合って関空泊まりです。
東京駅は凄く混雑していましたが、目論見通り新大阪行きは空いてます。
いつもながら冷蔵庫が一杯で「作り過ぎ」と言われつつ出てきました。
 
さてフィリピンです。
1942年2月6日、日本軍占領下のルソン島で抗日人民軍が結成されました。
日本では略して「フク団」とも呼ばれたフクバラハップです。
タガログ語の"Hukbong Bayan Laban sa mga Hapon"の頭文字をとったもの。
日本陸軍を相手に巧妙なゲリラ作戦を展開し、住民もそれを支援。
1945年2月にアメリカ軍が首都マニラを奪還した際にもフクバラハップ
中心とした抗日ゲリラ組織が大きな役割を果たしたと言われています。
 
よって、フィリピンでは基本的に、アメリカ>日本 だったかと…。
 
ただしフクバラハップは抗日ゲリラ活動に土地改革活動を結合していたため
戦後その共産主義的性格を恐れたアメリカによって弾圧されました。
1950年に「フィリピン人民解放軍」と改称したフクバラハップ
政府軍の攻撃を受けて弱体化し、1950年代をもって鎮圧されたそうです。
 
その後、ベトナム戦争の際には、アメリカが1903年から海外最大の基地として
活用してきたクラーク空軍基地が重要な出撃地となったそうです。
現在もクラーク基地のあったアンヘレスの街にはベトナム戦争時に
アメリカ兵の娯楽施設として作られたゴーゴーバー(!?)が100軒ほどあって
観光客のほとんどは男性!? 家族連れはいないとか?!
 私の宿泊先は繁華街から離れているので心配無用ですが。
 
1991年4月、米軍が基地の使用期限延長について交渉していたところ、
アンへレスから約20km離れたピナトゥボ火山が活動を始め、6月に大噴火‼
クラーク空軍基地スービック海軍基地ともに11月26日に返還されました。
(いかなる因縁か、大噴火した日、私は友人とシンガポールへ遊びに行くところでした。
ピナトゥボ火山が噴火し香港で待機しようとしたら既に空港が一杯なので台湾まで戻ります」
との機内アナウンスがあり、台湾の空港で機内から出られないまま夜を明かしたのでした…)
 
こうした歴史を経て今も潮目が変わりつつあるフィリピンですが、
そのような中、特攻隊の慰霊碑を建てて下さったことに感謝しています。
 
………
 
今日は大地震など怖ろしげなことがあって交通機関が乱れており、
特急が30分遅れで関空に着いた時にはホームに人が溢れていて驚きました。
 
何の変哲もないホテル。ここは二度目ですが、日航の会員なのに満室で予約できず
じゃらんか何かで空きを見つけて泊まっています。
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レストランは全てのメニューに小麦粉を使っていると言われ、ブッフェに。
今月のメインはローストビーフだったので。
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四種それぞれに味わいがありました。
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ほかにはサラダとフルーツ。これがフィリピンでも主食になりそうですね。