今日もクロアゲハが迎えてくれました!
蝶に先導されて坂を下りてゆくと「船」のような形の巨巌が見えました。
海神が乗ってきた船がそのまま岩になったとの伝承をもつ「御船岩」でしょうか、
木や草も生えています。
ここ川奈の姥子洞窟遺跡からの出土品です。
「優婆子山」という丘陵の下にある姥子洞窟は祠が鎮座することでもわかるように
太古から海の聖地であったと考えられています。
姥子洞窟の発掘調査では縄文時代の黒曜石片が発見されたそうです!
また古墳時代の土師器も発見され、高杯だったことから祭祀用と言われています。
上の画像は「高杯が出土した層から大きなアワビが三十数個、
大きなマツバガイ、サザエが発掘された」と説明されています。
姥子洞窟は、もともと細長い洞窟で、最奥に鎮座する祠には
日射しが届かなかったといいます。
それが、なぜ、このように解放された(丸見えの?!)岩窟になったのでしょうか?
拡張された際に崩落してしまったとのことです。
何でも戦時中は特攻船「大発」の隠し場所として利用されたとも
「青蛙」格納庫だったとも言われていますが、陸軍なら「大発」でしょう。
開発した上陸用舟艇「大発動艇」の通称です。
しかし、これを、特攻艇に改造していたのでしょうか?
ベニヤ板でできた粗末なモーターボートを見た特攻隊員らは
「こんなものでアメリカに勝てるわけがない」と感じたそうです。
いずれにせよ、本土決戦に備えて伊豆半島に特攻基地が建設されたのは事実で、
姥子洞窟は特攻艇を格納するために掘削された際に一部が崩落したのです。
かつてイルカがやってきていた川奈港の北辺に姥子洞窟があり、
南東にあたる対岸に蛭子神社がありました。
東端へと続く道を歩いてゆきたかったけれど…。
私はまるで通奏低音のようにずっと戦争について考えてきました。
ことさら8月にこだわっているわけではありません。
けれど8月16日だけは特別な気持ちになることを抑えきれません。
8月15日に突然ハシゴを外された人々、中でも軍部の狼狽、落胆、暴走ぶりは
広く伝えられていますが、明暗を分けたある「事件」に胸を衝かれるのです。
111名もの若者の命が喪われました。
なぜ、このような悲劇が起きてしまったのか?
第128震洋隊の特攻隊員だった神保公一さんはこう証言されています。
「海軍総司令部は、玉音放送の直後に、もし敵の艦隊が来たら断固自衛反撃を
するよう各部隊に命じました。私たちは臨戦態勢だったのです」と。
ただし「それは誰からの命令か?」と問い返し、従わなかった部隊もありました。
のような方ももっと居られたかもしれません。
残念ながら私の大叔父は、1945年5月31日にフィリピン・ルソン島リザール州
モンタルバン東北方約20kmにて戦死しました。
昨秋、クラークでそこへの行き方を尋ねたところ、大変な奥地で、
橋が老朽化し、ガイドを頼んでも難しい…と言われ、訪問を断念しました。
私には何もできないのか?
ふと、古来、魂鎮めとして演奏されてきた歌たちを思い出しました。
水に流すという言葉の通り、波によって穢れを祓う海人族の音楽です。
海は大叔父の居たフィリピンへも、高知県の住吉海岸へも繋がっています。
昨日に続き今日も雨ですが、いつも運良く雨に濡れずに済む私。
誰がどんな目的で作ったかわからない祠や社殿ではなく
海辺で演奏できました!
そんな今日の一社目は伊東の葛見神社。
が、現在は稲荷。祭神が日本の神からヒンズーの神へ!?
豊川稲荷系なのかな?
でも、昭和8年に国の天然記念物に指定された(現在、日本で二番目に古い木と言われる)
大楠が千年余の歴史を伝えてくれています。
そこから南下して十足(とおたり)という住所にある引手力男神社へ行きました。
とはいえ明治以降に改称された社名ですからね…(私はどちらも採りません)。
こちらは約10万3500年前に起きた激しい水蒸気爆発によってできた火口湖。
約4,000年前には4kmほど離れた大室山が噴火し、溶岩流の一部が流れ込んで
コレがこの大池に居た赤牛を封じ込めたという神社でしょうか?
赤牛とは、溶岩流の比喩でしょうか?
さすが火山半島という感じですね! 興味が尽きません伊豆半島ジオパーク。