藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

樹海

先夜、偶然、青木ヶ原樹海探訪の番組を見ました。
本当に磁石の針がグルグルまわって「N」の方位を指さないんですね。
そもそも縄文にしか興味を示さない私ですので800年以降のことはどうも…
と遠ざけていましたが、これは実際に見ておくべきと感じました。
 
かつての剗の海(せのうみ)を埋没させた貞観(じょうがん)の大噴火。
貞観大噴火とは平安時代初期の貞観6年(864)~8年(866)にかけての大規模な富士山の噴火活動で、
約14億m³にも及ぶ溶岩流が北西山麓を覆い尽くしたことで剗の海と呼ばれた北麓の広大な湖の
大半が埋没したとされています。
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剗の海の残片が、現在の「富士五湖」のうちの西湖と精進湖本栖湖です。
だから底で繋がっていると言われてきた!!
 
富士山の大噴火で流れ出た溶岩流で氷穴や風穴といった溶岩洞窟ができました。
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中でも総延長386mの西湖コウモリ穴は富士山麓で最大規模の溶岩洞窟とされ、
氷穴や風穴と違って一年中温暖なので洞内にはコウモリが多数棲息しています。
 
その溶岩流の上に長い時を経て再生した森林地帯が青木ヶ原樹海です。
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貞観大噴火から5年後の貞観11年(869)、東北地方で貞観地震が発生しました。
陸奥国多賀城下に津波が襲来して仙台平野は海岸線から3~4kmに渡って水没。
恐ろしいことに、地震の規模はマグニチュード8.3以上であったとされています。
 
貞観大噴火」「貞観地震」は日本列島を揺るがす出来事でした。
 
まったく関係ありませんが、私にとって貞観といえば、
紫式部が偏愛した催馬楽という音楽ジャンルの文献における初出です。
延喜元年(901)成立の歴史書日本三代実録』の貞観元年(859)10月23日条に
80余歳で薨去した尚侍の廣井女王が催馬楽歌をよくされたとの記事があります。
 
しかし貞観といえば大規模災害、それが9世紀の代表的な出来事でした。
富士山に限って言えば、延暦19~21年(800~802)貞観6年(864)
宝永4年(1707)の噴火を「三大噴火」と呼ぶそうです。
では青木ヶ原樹海へ行く前に9世紀の災害を整理しておこうと思います。
 
       延暦19~21年(800~802) 富士山延暦噴火
       嘉祥 3年(850) 出羽地震(M7?)-11月
       貞観 5年(863) 越中越後地震-7月
       貞観 6年(864) 富士山貞観大噴火-7月~2年間
       貞観 6年(864) 阿蘇山噴火-11月
       貞観 9年(867) 鶴見岳(大分県)噴火-3月
       貞観 9年(867) 阿蘇山噴火-6月
       貞観10年(868) 播磨・山城地震(M7?)-7月+余震 摂津地震
       貞観11年(869) 貞観地震(M8.3?)-7月
       貞観11年(869) 「肥後国に地震風水の災」-8月
       貞観13年(871) 鳥海山噴火-5月
       貞観16年(874) 開聞岳大噴火-3月
       元慶 2年(878) 相模・武蔵地震(M7.4?)-10月
       元慶 4年(880) 出雲地震(M7?)-11月
       仁和元年(885) 開聞岳大噴火-7,8月
       仁和 3年(887) 仁和地震(南海トラフ巨大地震M8~8.5?)-8月
 
こうした地震や火山噴火といった自然災害を、当時の貴族階級は
穢れに触れた神の怒りとみなし、穢れを忌諱するようになりました。
そして、朝廷は噴火を繰り返す火山に神位を授け、社殿を造営し、
神を懐柔することで災害の沈静化を図ろうと考えたようです。
日本三代実録』の貞観6年5月25日(864年7月2日)の条に
富士郡正三位浅間大神大山火~」と神階が記されています。
 
勅命により、富士山の北側に南側にある浅間神社を勧請したりもしました。
火山や祭神を正一位やら正三位やらとランク付け?
それだけで神社へ行く気が失せますが、洞窟での演奏にも期待できません。
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岩盤と違い、反響がなく、音響効果が期待できないのです。
これでは何のために行くんだか…
いや、この季節だけの風景があります!!
紅葉の中での演奏修行です。
 
あ、そうそう、西湖と精進湖本栖湖が地底でつながっているように
鳴沢氷穴江ノ島が繋がってるんですって!? どこまでがトンデモなんだか?
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