今日は出だしから大変でした。
昨夜、ホテル上層階のドンチャン騒ぎで午前5時過ぎまで一睡もできず、
8時台の電車に乗ることを諦めて8時過ぎまで寝ようと決め、
都農駅から予約していたタクシーに日向市まで来て貰うことにしました。
6時間の貸切は…と憂鬱だったのに一社目から古代磐座祭祀に出合え、欣喜雀躍!
社殿は拝殿も頂上の本殿も磐座を守るための配置に見えます。
縄文以来の遺跡も分布し土器や石器類が出土しているそうです。
当社は日向国一宮都農神社と関係の深い都農牧神社です。
「牧神社」の名は、推古天皇が612年正月に「馬ならば日向の駒」と詠われたとの
『日本書紀』の記述に由来するそうです。
全国27箇所の馬牧のうち、日向には野波野、堤野、都農野の3箇所がありました。
そんな歴史を伝える社名にも感銘を受けました。
さらにニ社目は虹に彩られた滝! 肉眼では綺麗にはっきり見えていたのですが。
これは!? 岩盤にビッシリ仏像のようなものが彫られているように見えなくも
ありませんが、長いあいだ水に打たれて削られたのでしょうか?
調べたら「不動の滝」とありました。
この滝を護るように都農神社の奥宮とも呼ばれる瀧神社があります。
大好きな極相林! 水量が少なかったので、置き石を渡りました。
うわー、少ししか登っていないのにこの眺望!!
何とこの「不動の滝」の真上が「都農ワイナリー」で、
以前宮崎のM先生ご夫妻の車で案内していただいてました。
残念ながら当時は寺社に無関心だったので…。
都農神社へも行きました。一ノ宮だけあって社地も広大です。
ただし橘三喜が1675~97年まで全国の一宮を歩いて記録した『一宮巡詣記』には
豊後の大友宗麟が薩摩を攻めた時(1578年)、その兵火で社殿、社宝、古文書類を
悉く焼失したため「取立る人もなしとて僅の小社となり御名をさへ知らず
只明神とのみいへり」といった状態になっていたとあります。
焼失から百年余り後の元禄5年(1692)、橘三喜の存命中に高鍋藩主 秋月種政が
再興したそうです。記録はないけれど、神武天皇即位6年前の創建だそうで…。
南天(?)を撮ったので後ろからですが、↓の〆縄は「あぶら石」を囲っています。
対岸の住民が石に油を注ぎ火を灯して当社の遙拝所としていたところ、
橋がついたので境内に奉納されたと書かれていますが?(油って焼跡がつかないんですか?)
↑こういうのは「呉越同舟」とは言わないんでしょうか?
さあ、次はいよいよ西都市ですが、長くなるため別ブログにします。