藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

加賀白山

朝9時にホテルを出て14時に小松空港着。
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エアポートレストランなのに素晴らしい美味しさで 1,420円也!
 
時間を逆行しつつ書きます。
今日最後に行った安宅の関
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実在の証拠がない安宅の関ですが、ここに安宅住吉神社があります。
遷座を重ねており、現在は境内に安宅の関が位置しています。
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お約束の亀石!?
 
伝承によれば、安宅の関を通れた義経一行は、白山本宮を目指します。
白山本宮とは現在の白山比咩神社で、霊亀2年(716)から文明12年(1480)まで
手取川の安久濤淵の上の台地に鎮座していたとの記録が白山比咩神社にあります。
またしても「アク」ですか…。
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現在は水戸明神の祠と鳥居が建てられています。
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この小さな祠だけでは往時の様子は想像できませんけれど、
義経一行は白山本宮の厳重な警戒を避け、
手取川手前の巖本神社で夜を明かしたとされています。
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源義経通夜記念」の碑は南北朝時代から室町時代初期に成立したとされる
義経記』の「後鳥羽天皇文治2年(1186)2月10日源義経通夜す」に基づくもの。
金劔宮には「義経腰掛石」!? 建てたもの勝ちですか?
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という次第で、昨日の尼御前岬菅生石部神社に続き、今日は巖本神社(岩根宮)
金劔宮白山比咩神社元宮と、はからずも義経一行の足跡を辿る旅となりました。
思い起こせば吉野の金峯神社にあった義経の隠れ塔に始まってるのかなぁ…。
 
現在は小さな巖本神社ですが、↓こういうものまであってビックリ!?
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いやはやどのような由緒があるのか調べる必要がありますね。
 
上記の巖本神社金劔宮はいわゆる「白山七社」です。
金劔宮の由緒書に「中世以来白山七社の一に数えられ内、
白山本宮・三宮・岩本と共に本宮四社と称した」とありました。
霊亀2年(716)に安久濤淵の上の台地に白山本宮が建てられたのち
文明12年(1480)の火災で三宮神社の社地に移転した現在の白山比咩神社
巖本神社本宮元宮で「本宮四社」を全てまわれたことになりますね。
 
その前に行ったのは御子神でした。
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読みは「ひのみこ」ですが、「ひみこ」じゃないの? と思いつつ
社殿には見向きもせず、広々とした「日御子の森」で遊びました。
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実は機内でこのほかの神社について書いていたのに、着陸したハヅミで消えました。
今は書く気力がありません。帰宅後に考えます。
というわけで、最後にこの旅で追い続けた白山(機内で撮りました)
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