藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

加賀国

小松行きのJALに乗ってます!
加賀国白山比咩神社を除くと金沢以北にしか行ったことがなく、
本当は加賀温泉片山津温泉に泊まりたいところですが、
女性一人客の宿泊は設定のない宿がほとんどです。
空港との往復はタクシーなので駅前のホテルに泊まる理由などないのに。
 
今日の目的は片山津温泉の近くにある加賀市篠原の金明竹です。
金明竹とはマダケの突然変異で、寛政7年(1795)に京都に現れたものは
当時「このような不思議なものが現れるのは豊年の前兆として祝うがよい」と
瓦版に記されていたそうです。
 
当地の金明竹は明治9年に発生、昭和2年に国の天然記念物に指定されました。
その後、昭和45年に開花したものの枯れ、結実しないまま残存根茎から
笹状の芽を出しては開花して枯れるといった繰り返しなのだそうです。
この現象は兼六園など、当地から株分けされた各地の栽培品にも生じ、
全滅を免れているのは当地だけだとか!?
 
金明竹と海人族の関係を考える上では、潮津に近い篠原は見逃せません。
 
しかし行ってみてビックリ!?
幅2m、長さ10mほどの小さなスペースでした。
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でも、竹は、細いながらも、ちゃんと金明竹でした!
 
すぐ近くに養老年間に勧請されたという延喜式内社篠原神社
こちらの太い竹、突然変異しかけ? いや、単なる日焼け?
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広々とした社叢が本当に素晴らしかったのにごく一部しか紹介できず残念です。
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次の宮村岩部神社へ向かう途中、国定公園加賀海岸で尼御前岬を見ました。
名前の由来は幾つかあるようですが、義経一行の都落ちの際、安宅の関を目前に
足手まといにならないよう、尼御前が海に身を投げた場所とされています。
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歌舞伎の「勧進帳」で有名な安宅の関ですね。哀しい伝承です…。
 
海岸から数分の宮村岩部神社は、本殿がなく、樹が御神体という古い形でした。
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御所市の大穴持神社出雲市伊保神社もそうでした。これほど大きくないけれど。
 
発音は同じ「いそべ」かと思われる菅生(すごう)石部神社国幣小社
本殿横の摂社が普通の神社のようでした。
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牛がいたので祭神は菅原道真かと…。
ここの住所が大聖寺で、何と日本百名山深田久弥の出身地でした。
 
ここから道なりに加賀温泉駅へ向かう途中に三輪神社があります。
元は「三輪社」、1653年に「磯部國玉神社 祭神大物主神」と記録されていました。
が、祭神は二柱で、もう一柱が「ウガヤフキアヘズノカミ」です。
いくら何でもそれはないでしょう…と思い、行ってみたら、
明治40年無格社磯部神社を合祀していました。
まるで17世紀の水戸藩ですね、一村一社の合祀令…。
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社殿への階段を上がりたくなかったので、広々とした社地で演奏修行。
このすぐ右手に梅林がありました!
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次に向かったのは泰澄が白山信仰の一環として開基した那谷寺(もと岩屋寺)です。
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残念ながら千三百年祭に向けての補修工事で岩屋へは登れませんでしたが、
広い境内には池や丘がたくさんあってリフレッシュできました。
 
那谷寺命名したのは花山天皇(968-1008)と言われるほど、この周辺には
17歳で即位し19歳で退位後出家した花山院の伝承が残っています。
ここ那谷寺から車で数分の菩提町に行在所があったとされ、陵墓まであるとか。
 
その小松市菩提町にある花山神社へ行ってみました。
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けれど、山の斜面を切り拓いたような神社からは花山院がこの地に住んだという
イメージは湧いてきませんでした(何の根拠も意味もありませんが…)
 
おっと、空港から小松駅まで3時間の予約なのに、既に超えてしまっていました‼
駅まで30分はかかるので「4時間に延長して下さい」とお願いしました。
「今日は朝からずっと白山が見えないんですよ」とお聞きしていたので、最後に
「まだ白山は見えませんか」と尋ねると、「あ、頭が見えてます!」とのこと。
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白山比咩神社奥宮がある御前峰(ごぜんがみね) 2,702mが白山最高峰です。
今日の最後に剣ヶ峰、大汝峰を加えた白山三峰が見えました。