以前から「香取海(かとりのうみ)」と呼ばれた湾に興味をもっていました。
今の東京湾に匹敵する広さがあったといわれていたので。
この地図では房総半島が島になっています!?
上の地図の中央少し上でしょうか?
『日本人 はるかな旅』の第1集「マンモスハンター シベリアからの旅立」でした。
シベリアのブリヤート人と遺伝的に最も近いことが判明。
また、同遺跡からシベリアで使用されていた物と同じ石器が出たことから
日本人のルーツの一つが北方にあったと紹介されました。
「香取海」と呼ばれた湾はそうした浦をいくつも包含しており、
当時の主な流入河川は鬼怒川と小貝川でした。
その鬼怒川や小貝川からの堆積物で海からの海水の流入が妨げられて
2/2に訪れたダイダラボッチの笠貫沼周辺の景色が思い出されます。
本当に広大な低湿地の中にポツンとありました。
小高い丘に建つ蛟蝄神社奥の宮、近くの立木貝塚にある門の宮、
そこは島か岬で、周囲は汽水湖だった可能性が高いのです。
今日はともかく中妻貝塚を目指しますが、
水神社を合祀し「水白山」と呼ばれているというのです!?
走行距離が長くなるので、先ずはアーニャのお散歩です。
いつもの土手ですが、筑波山は雲に覆われて見えません。
「さあ、バイクまで戻ろうね」
今日は初めてあの水色の橋を渡ります。
うわぁ~今の時間帯は空いてますね~(14時過ぎ)!
渡ったらすぐ左折して、小貝川沿いに利根川との合流地点を目指します。
豊田堰です。ここを迂回しつつ南下します。
ありゃ、四輪では通れそうにない道に入りました。
鳥居の扁額に「白山大神」とあります。
しかし…、これは?
左上の道が切り拓かれて工事中だし、6年前の画像で見た社叢は無いし!?
この禿山状態の斜面は恐らくコンクリートで固められるのでしょう。
由緒書に
開山した「水白山西光院」とありました。
画像右手の階段上に鎮座する「水白山」こと白山大神を守っていたそうですが、
肝心の白山大神の創建や由緒はわかりません。
賢そうな犬がこちらを見ていましたが、アーニャをBoxから出したり
楽器ケースをおろしたりしているうちに居なくなりました。
アーニャを抱いて階段を登り、白山大神の社殿前で約30分の演奏修行。
アーニャはずっと膝の上で聴いています。
今日は初めて《神擧》を全三節バージョンで試演しましたが、
とても座りが良かったので、引き続き、歌い込んでみます。
次は同じ小文間(おもんま)にある大日堂を目指します。
「水白山」に向かって左上の新道に上がり西へ進むと藝大がありました。
私が在学中に美校で移転反対運動が起きていた取手キャンパスがここにあったとは!?
道路から見えるこの建物は「東京藝術大学大学美術館取手館」。
キャンパスはずっと奥にあるようです。
まぁ上野に比べると便利とは言えない場所ですよね。
このすぐ先を右折すると大日堂があるはずなのですが?
「大日坂」と書いてあるので、正面が大日堂なのでしょう。
中妻貝塚を検索しても場所がわからず、
「大日堂の西側で発見された」と書かれたページを見つけたので来てみました。
文字が消えかかっていますが、恐らく「本尊 大日如来」なのでしょう。
神仏分離や一村一社のあおりを受けてか、
参道の側にびっしりと石碑が並んでいます。
よりにもよってバイクを停めた目の前にあったのが「月讀神社」!?
昨夜、友人に
「現段階ではオホヒルメ(太陽信仰)の歌しかフォローできておらず、
月讀(黄泉?)の祭祀はどこから手をつければよいのかすらわからない…」
と話したばかりだったのでビックリしました。
しかし、西側へまわってみても貝塚などありません。
困っていたらワンちゃん連れの男性が歩いてこられました。
「すみません! 中妻貝塚の場所を御存知ですか?」
「ああ、小さい頃みんなで掘りに行きましたよ。土器や人骨がたくさん出ました」
「それは、どの辺りですか?」
「福永寺さんのすぐ傍ですよ。今もあるのかなぁ?」
ということで、思いがけず人骨を掘った方と出会えました!
地図も見ないで走り出したらこんな道が!?
私が絶対に走りたい道です。
どんどん細くなりましたが、構わず進みます。
ああ…やっぱり汽水湖だ…。
この先を左折して坂をのぼり切ったところが福永寺でした。
眼下に広がるあれが汽水湖なら、ここが湖畔ということになりますね。
この先を曲がると唐突に何の表示も無い貝塚が!!
曲がったら突然これが見えたのでビックリ仰天しました。
たしかにビッシリと貝が詰まった(厚さが1-2mあるらしい)貝塚です。
この先を右折したら、またしても唐突に貝塚!!!
中妻貝塚は直径150m、25,000㎡におよぶそうですから。
1997–99年にかけて国立歴史民俗博物館の西本豊弘教授らの研究チームが
行なった『中妻貝塚出土の多数合葬人骨からみた親族関係と縄文社会の研究』では
縄文時代後期初頭の人骨100体以上が一つの小さな土壙墓からまとまって出土した
中妻貝塚の発掘状況から、被葬者を短期間に死亡した血縁の濃い人々と考え、
被葬者のうち29体の歯の計測値にもとづく血縁関係の分析を行なったところ、
29体に2つの家系とみられるクラスターが見出されたことを報告しています。
また、中妻貝塚人の歯の計測値にもとづいて推定された血縁関係がどの程度まで
信頼できるかを別の方法で検討することとし、分子人類学的手法として歯根部から
DNAを抽出することによって血縁解析を実行。最終的に、歯の形態とDNAによる
血縁関係の突き合わせにより、確信のもてる血縁関係が明らかになったそうです。
この研究成果が上記のNHKスペシャル『日本人 はるかな旅』の第1集
「マンモスハンター シベリアからの旅立」の裏づけとなったわけです。
何だかスゴイことになっていますね…