先週も見ているのに、ここに居るのが不思議な感じ…。
こちらは6:50の白馬鑓ケ岳と白馬岳。
帰りたくない…くらいですが、今日もまた修行旅です。
メインは姫川の源流湧水!
その前に、運転手さんのオススメで、途中の飯森神社へ立ち寄りました。
「あれ? 社殿の前に立つと何を遥拝しますか?」と奥へまわる私。
「この位置からだと、あの山ですかね?」
すると、運転手さんが「さすがですね。あの山に池があるんです」と仰います。
「じゃあ、社殿の左を流れているのはあの雪山からの水ですか?」
「ええ、昔登った時、池の横に飯森神社があって、何だろうと思ったんですよ」
素晴らしい運転手さんですよね!? ラッキーでした。
帰宅後、調べたら、標高2,060mの八方池でした。
飯森神社は永徳年間(1381-84)に領主の飯森氏が勧請したそうです。
伝承によれば、八方池に大蛇が巣食い、村人に悪事を働いていたため
領主となった飯森氏が池の畔に社を設けて祈願したとのこと。
すると大蛇は姿を見せなくなったといいます。
大蛇とは先住民で、それを領主が配下に置いたことの比喩かと思いますが、
現在も八方池は飯森神社奥宮として信仰の対象となっているようです。
次の姫川源流湧水も運転手さんが一緒に歩いて案内して下さいました。
「駐車場からどのくらい距離がありますか?」
「1kmくらいですかね」
たくさんのお花が咲いていてキョロキョロしてしまいました。
ここかなと思って撮影していたら、ここが源流の湧き水でした。
真冬でも雪が降っても湧いてくるんですって?!
だいたい一年中、11℃前後なのだそうです。
もう、これほど空気のきれいな所は無いだろうと思える場所でした。
しかし、往復2kmを和琴ケースを背負って歩いた結果、
右膝がズキズキ痛み始め、じっとしていても痛むのを我慢して歩きました。
早く身体の前に掛けられるケースを作らなくてはなりませんね…。
さて、今日は松本に向かってひたすら南下するコースです。
海人族の好きな、湾や湖を見下ろす形の神社です。
神宝の銅戈によれば、弥生時代には集落があったことになります。
「当地で製作されたものではなく」とありますが、根拠はあるのでしょうか?
ここに鬼が居ると知って見に来ました。
ほら、本殿に居た! 金属と鬼って、吉備の鬼退治と同じ構図ですか?
青鬼や隣接する鬼無里の鬼との関係は?
疑問を抱えつつ更に南下すると竃(かまど)神社。
先週も昨日もずっと棚田を見てきたので不思議な感じ…。
ここから東へハンドルを切って佐々屋幾神社へ。
すぐ南の仁科神明宮のことが書かれています。
日本最古とも言われる神明造の社殿は長野県には数えるほどしかない国宝の一つ。
↓たしかに神明造でした。
おおお…かの泉小太郎伝説ですか。
この注連縄は初めて見ました。
ところが、どことなく様子が変…です。
鳥居の先を上ってみますと!?
やはり参道がありました。
特に珍しくもありませんが、線路が境内を走っていたのです‼
振り返って扁額を見ると「三社大明神」!? ミシャですよ、ミシャ。
しかし!! 道路沿いには「村社 犀宮社」とありました。
「大明神」は明治以前、「村社」は明治時代の呼称です。
こういう場合は社殿を度外視するに限ります。
それにしても、今回は沢山の課題を与えられました。
その解決のためにも、すぐに鬼無里へ行きたいところですが、
文献にも当たらなくてはならないので梅雨明けまでは我慢かな?
安曇野ということで、何年ぶりかで安曇磯等の歌を歌ったら、一ヶ所だけ
どうしても思い出せず、一・二番とも調子っ外れになってしまったので
こちらも徹底的にやり直さなくてはなりませんね…。