藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

ミシャグヂ

一週間ぶりの外出。15,16日は最高気温37℃の予報です。
暑さによる体力の消耗を考え、「松本」集合を14時にしました。
そこから約5時間の演奏修行…。
酷暑の中、付き合ってくれる友人に感謝です。
 
本日のテーマはミシャグチ・ミシャグヂ
漢字のあて字は御社宮司・御射口など多数。
 
柳田國男氏はミシャグヂ塞の神(サヘノカミ)=境界の神であると考え、
大和民族に対する先住民の信仰対象が日本の神=ミシャグヂだとしています。
また大和民族と先住民がそれぞれの居住地の境に立てた一種の標識ではないか
とも言い、塞の神はその名の通り「さへぎる」意からきているようです。
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この「双体道祖神」は松本市御射神社 春宮で撮りました。
 
道祖神は日本各地に残っており、1961年には伊藤堅吉氏が
全国に約3000基あると報告しています。
市町村単位での日本一は長野県安曇野市の約400体。
同じく長野県松本市にも旧農村部に約370体の石像道祖神があるとのことです。
「双体道祖神」は長野県・山梨県群馬県静岡県・神奈川県に多く分布し、
東北地方にも見られるそうです。
とはいえ、紀年銘が確認された最古の像が江戸時代初期のものだそうですから
ミシャグヂの歴史とは遠くかけ離れています。
 
諏訪地方では、縄文からのミシャグヂ信仰に
あとから来た建御名方神が習合・同一視されたとも、
諏訪の蛇神であるソソウ神と習合したため白蛇の姿をしているとも
言われているようです。
蛇と言えば、ミヅチも伝説上の龍蛇とする説があります。
広辞苑』が水の霊と説くミヅチの「ミ」は水に通じ、
「チ」は「大蛇(おろち)」の「チ」とする見方もあるようです。
 
いずれにせよ、蛇に喩えられることの多い日本の伝統的な神への興味から
数多くのミシャグヂに関わる神社が現存する長野県を再訪しました。
 
今日のメインは御射神社 春宮秋宮に決めました。
糸魚川から姫川沿いに信濃を制圧していったとされる健御名方命
諏訪を平定して諏訪大社を創建したことと関連があるのかどうか…。
結論から言いますと、よくわかりませんでした。
 
御射神社 秋宮へ向かう道々、最初に立ち寄ったのが岡田神社
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654年創建の古社ということで行ってみたら、想像以上に規模が大きく、
明治の一村一社のせいなのか、相当数の境内社がありました。
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一ノ鳥居は、かなり下にありましたし。
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農村舞台も大きかったですね。
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実は654年創建の古社という由緒に疑問をもっていました。
延喜式神名帳にのる岡田神社は次に向かう稲倉の水口神社との説があるからです。
しかし、稲倉地区は車を方向転換させられないほど道が狭く閉口しました。
それで現社地へ遷座して「下岡田」の住所になったのでしょうか?
↓稲倉の水口神社です。
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道沿いに立つ鳥居をくぐり、階段を上ると、かつての式内社としては
あまりにも小さい社がありました。
現在の水口神社の社名はミシャグチから派生したのか?
或いは、「ミ」が水に通じ、「チ」が「大蛇(おろち)」に通じるというミヅチか?
またはミシャグチミヅチは同義語なのか? と悩みます。
 
しかし、もっと興味深いのは、当社の北 約3kmあたりで
世界最古のマッコウクジラ全身骨格化石が発見されたことです。
松本市四賀地区一帯は青木層、別所層、新生代第三紀の化石が多く埋まっており
県内有数の化石産出地として知られているそうです。
昭和63年(1988)、保福寺川川岸の露頭で小学生が偶然掘り出した化石が
マッコウクジラの全身骨格であると判明。
当時の四賀村は村内で発掘されたクジラ、魚介類、植物等を収蔵・展示するため
翌平成元年(1989)四賀村営化石館を開館します。
昭和63年6月に保福寺川で発掘開始されたシガマッコウクジラは、
平成元年5月にクリーニング作業を了え、展示されました。
松本市四賀化石館ですが、現在はレプリカを展示と書かれています。
 
シガマッコウクジラは平成17年3月に「頭骨1 脊椎骨37個 肋骨10個 歯20本」で
体長約7mの幼体マッコウクジラとして長野県天然記念物に指定されました。
米国ロサンゼルス自然史館バーンズ博士との共同研究によって
マッコウクジラの全身骨格化石は米国カリフォルニアと
ここ日本の四賀の2例しかないことが判明し、
別所層(1500万年前海に溜まった泥岩層)から出土したため世界最古と認められました。
 
四賀は「シカの海人」を追う私にとって非常に興味深い土地です。
なにしろ津嶋神社まであるのですから。
 
さて、次は水口神社から女鳥羽川沿いを三才山方面へ進み、御射神社 秋宮へ。
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社殿は暗く見えましたが、近づくとこんな感じ↓
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以前、浅間神社だった時代があるとのことですが、住所は松本市三才山、
春宮の方の住所は、松本市浅間温泉でした!?
すると、階段を少し上った高台にある春宮浅間神社だった可能性が高い?
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汗をかきかき、演奏修行しました。
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さあ、ここから少し距離がありますが、美ヶ原の手前の大和合まで行きます。
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かなり広い社地です。大きな森の中にありました。
現在は大和合神社などと称していますが、かつては駒形大明神だったと知り
神楽歌《其の駒》を演奏するために訪れました。
古代の馬場ですが、ここにも御柱…。
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大和合させられたのは、駒形大明神諏訪大明神だったのでしょう。
 
美ヶ原方面への道を引き返して向かったのは和合の池(千鹿頭池)のある千鹿頭山。
ここに御頭祭に供される鹿を用意する狩猟の神を祀る千鹿頭神社があります。
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社殿が2つ並んでいるのは、近世のはじめまで松本藩領だった神田地区が
元和4年(1618)に、神社のある千鹿頭山の尾根から南側が高島藩領、
北側が松本藩領という、両藩領の境となったからだそうです。
同地ながら、現在の住所も異なっています。
千鹿頭神社   松本市神田1-16-1
千鹿頭社   松本市大字里山辺5203
 
この更に奥に小さな祠がありましたが、詳細は不明です。
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小高い千鹿頭山を下りてゆくと、見たことのある光景が!?
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鳥居の下に、人を拒むかのような石が置かれています。
初めて目にしたのは今年5/27に訪問した
高瀬川犀川の合流点に位置する安曇野市の↓犀宮神社でした。
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こちらは白っぽい石で、鳥居より少し前にありますが。
道路脇の石碑には「村社 犀宮社」とあったのに、
線路前の鳥居の扁額が「三社大明神」だったので記憶していました。
やはり、ミシャグヂと関係があるのでしょうか?
 
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千鹿頭山・千鹿頭池(和合の池)からは南松本駅方面を目指します。
地図を見ると、駅の手前の田川沿いに多賀神社がありました。
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あれま!? ここも大和合…ですか?
上が陰になってしまいましたが、諏訪大明神多賀大明神の併記でした。
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本殿の覆屋の形も変わっていますが、↓こちらもドキドキでした。
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日本の軍神の代表格は諏訪香取鹿島とされてきました。
よって、その神が通った後には屠られた先住民の蜘蛛窟などがあるわけです。
この形状は心臓に悪いので、そそくさと退散しました。
 
この時点でもう18時を過ぎています。
本日のプランではあと5社ありましたが、晩御飯の予約が19時!?
やむなく塩尻駅へ向かう道で一社だけ寄り道しました。
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なぜここに建部神社が? と不思議に感じて来てみたら、廃れ感が凄い…。
鳥居の左手の由緒を見ると、近江国から勧請された上、遷座しているとわかり、
しかも元寇の役を遡る歴史はないようなので画像だけを撮りました。
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なんともはや、諏訪大明神の破壊力に圧倒された一日でした。
信濃国では諏訪大明神と和合しなければ産土神も地主神も国津神
存続できなかったのでしょう。
 
暑さも相俟ってグッタリと疲れ果てたので、モリモリ食べることに。
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野菜サラダ(大)のあとの馬刺し!!
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メインは鯖の塩焼きで、この他、野菜の串盛り、モツ煮込み etc.を頂きました。
夢中で食べてしまったので画像が二枚しかありませんが、
日曜日も営業している「山賊」(塩尻市大門七番町)さん、最高でした!