藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

空海の三大虚空蔵尊

鴨川市は遠い…。
拙宅からだと新幹線で行く長野市よりも時間がかかります。
今は特急に乗ってますが、帰りは各駅停車の乗継です。
そんなわけで、なかなか足が向かなかった外房へ行く目的は?
 
目的というほどではありませんが、一つのテーマの仕上げです。
また「関東の富士見100景」の一つがあるのもポイントでした。
ただ、今日は雲が多いので、あまり期待できそうにありません。
 
さて、そのテーマとは?
 
空海にまつわる虚空蔵尊。ですが、
さまざまな自家製「由緒」があって、訳がわからなくなっています。
そこで、私なりに整理するために歩き、
ようやく最後の虚空蔵尊に辿り着きました。
もちろん興味の発端は室戸岬の「みくろど」でした。
 
旅の僧 勤操大徳から「虚空蔵求聞持法」を授かった教海(当時の空海)
その修法の場を求め、大峯山をはじめ、伊予の石鎚山、阿波の大龍ヶ岳などで
屹立する巌に坐し、100日で100万遍真言を唱え続ける行に挑み続けた結果、
阿国大瀧岳ニ躋リ攀ヂ、土州室戸ノ崎ニ勤念ス、
谷響キヲ惜シマズ、明星来影ス。
の境地に至り、室戸岬の岩頭から見た空と海の一体感から空海と名乗りました。
「虚空蔵求聞持法」を修した行者は、あらゆる経典を記憶し理解して
それを忘れる事がなくなるといわれていたそうです。
 
そんな空海の足跡を辿るべく、2015年4月19日に柳津の虚空蔵尊へ。
 
一ヶ月後の5月17日に御宿・勝浦へ行ったものの、
その時点では未だ鴨川の虚空蔵尊に気づいていませんでした。
 
少年時代の日蓮が登山して「日本第一の智者となし給へ」と願いを立てた
「およそ1200年の昔、"不思議法師"と名付けられた僧侶が
千光を発する柏の木で虚空蔵菩薩の仏像を彫り、
その仏像の前で21日間修行をしたことに始まります」とのこと。
("不思議法師"って……?! 実は、名付けられたではなく、名付けた?)
 
しかし、同じくHPの縁起に
「昭和24年、当山は日蓮宗に改宗し宗門直轄の大本山として現在に至ります」
と明記されており、それまでは天台宗だったり真言宗だったりしたようです。
それで「空海の三大虚空蔵尊」説に触れず、"不思議法師"にしたのでしょうか?
 
世の伝承の一つに
804年(延暦23年)、唐での修学を終えた空海が帰国する際に
高僧より授かった霊木を、帰国後、三つに分けて海へ投げた。
千葉県の小湊へ流れ着いた霊木を刻んだ像が清澄寺能満虚空蔵尊
茨城県東海村へ流れ着いた霊木を空海が刻んだのが大満虚空蔵尊
会津柳津町に流れ着いた霊木を空海が刻んだものが福満虚空蔵尊
とあります。
 
ただし会津柳津は内陸で、横を流れているのは只見川ですから
海へ投げたものが流れ着くというのはどうでしょうか?
 
地名が空海が山籠りをした宮城県柳津虚空蔵と同じだったので行ってみました。
が、圓藏寺は現在臨済宗であり、「空海」の「く」の字も無い…。
それが今年の3月21日で、4月6日には東海村虚空蔵尊へ。
 
さあ、ようやく着きましたよ安房小湊へ。
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安房天津駅の方が近いのですが、乗り換えやタクシーの便を考えて
安房小湊から乗車。そろそろ右折して山登りです。
 
千葉県は山が低く、清澄山(最高峰=妙見山)が3番目に高いのだとか!?
 
          1. 愛宕山 408m 南房総市
          2. 鹿野山 379m 南房総国定公園
          3. 清澄山 377m 主峰=妙見山 鴨川市
          4. 三石山 282m 君津市
 
他に高い山がないため「関東の富士見100景」に選ばれたわけですが、
今日は雲が多くて見えませんでした。
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ここは山頂に近い場所です。
 
タクシーは仁王門まで。
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仁王門を入って左折すると、虚空蔵菩薩を安置した大堂があります。
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摩尼殿(まにでん)と称する大堂は、1682年(天和2年)に完成したそうです。
中央の曼荼羅御本尊の前に鎮座しているのが
日蓮聖人が願をかけたという“不思議法師”作虚空蔵菩薩を胎内に安置した
“天瑞和尚”作虚空蔵菩薩であると伝えられています。
(現在では恐らく実物を見て確認した人はいないでしょう)
 
この左奥に妙見山山頂への階段がありました。
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山歩きのつもりで来たら、ずっと木組みの階段でした。
階段の高さにバラツキがあるため脇を歩きたかったのですが、
ヘビやマダニが怖くて、渋々階段の中央を歩きました。
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登りは仁王門から約15分で着きましたが、土がぬかるんでいたため
下りは何度かズルズル滑り、20分近くかかりました。
それでも、もっと大変な道を想像していたので楽勝でした!
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山頂には妙見堂がありました。いえ、清澄寺から貰った境内図には
妙見堂とありましたが、扁額は妙見宮でした。
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山頂には高い木がうっそうと繁っていて眺望が無く、陽も射しません。
そう思って、一番高い場所で演奏修行していたら
正面から陽が射してきて、日焼け止めを塗れない私は20分以上焼け放題!?
やっとアトピーが収まったところなのに、トホホ…でした。
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立ち上がって後ろを見ると石が集められていて、…ん?
何かの祭祀をやっていたのならゴメンナサイ…でした。
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妙見宮を後にすると、少しだけ平坦な道。その先はずっと階段です。
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こんなキノコを見つけたけど、毒キノコかなぁ?
 
妙見山に登ることにしたのは、空海妙見の符合からです。
現在では、妙見と言えば日蓮宗というイメージが定着していますが、
空海(774-835)日蓮(1222-1282)では、生きた時代が450年も違います。
 
讃岐の荘内半島妙見山があり、妙見宮の隣に大師堂がありました。
 
しかも、この仁尾の妙見多度津道隆寺に勧請されています。
妙見日蓮宗誕生以前から空海がリスペクトしていたわけです。
ということで、空海にまつわる虚空蔵妙見を見てきました。
 
下山途中、新しい観光道路を建設しているのが見えました。
イメージ 12この手前に、浪切不動寺があります。
「あの道路が出来ると、この道を通る車は激減するでしょうね」
と運転手さんが仰るので、
「それじゃあ、いま行っておきます」とタクシーを降りました。
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あら、鯨塚供養塔だ!?
隣には石像が並んでいました。
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ここは、空海真言宗ですよね?
お寺の方が縁側に居られたので訊いてみました。
「あの紋は桔梗ですか?」
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「そうです、真言宗智山派の桔梗紋です」
これで繋がりました!
清澄寺のHPにあった文章と研究者の方が書かれた文章が。
 
真言宗智山派日蓮宗との間で改宗の話し合いがもたれ」
「昭和24年に日蓮宗に改宗」した清澄寺ですが、研究者によれば
「改宗したのは清澄寺だけで、数多くの末寺が真言宗にとどまったことに
世間も宗教界も驚きを隠せなかった」とのことです。
すると、この浪切不動寺清澄寺の末寺だったのでしょうか。
 
いずれにせよ、宗教に無関心で、信仰は思考停止を招きかねないと恐れる私には
真言宗と雖も、宗祖の姿勢とはかけ離れているように見えます。
だって、空海石鎚山や大龍ヶ岳などの切り立った巌上で100日間座禅を組み
計100万遍、虚空蔵菩薩真言を唱え続けたんですよ。
身を捨てて挑むから「捨身ケ岳」であり「舎心ケ嶽」なんです。
風雨を凌げる場所で行をして見せる“観光宗教”とは違います。
 
こうなると、宗派や教義の違いを論じても意味がないのかもしれません。
宗教的視点よりも養老孟司先生の「逆さメガネ」の実験の方が納得できます。
 
「逆さめがね」の実験では、実験期間中起きている間も寝ている間も
被験者は上下左右が逆に見える眼鏡をつけて生活します。
最初は不便でしようがないものの、次第に普通に生活できるようになり、
約3ヶ月後には、朝、目が覚めると景色が普通に見えるのだそうです。
しかも眼鏡をはずして裸眼で見たら、景色が逆さに見えると言います。
 
脳が、逆さ眼鏡をかけたことで生活しづらくなった環境に適応できるよう
「可塑性」を発揮したというわけです。
100日で100万遍真言を唱え続ける「虚空蔵求聞持法」で記憶力がUPする
というのは「シナプスの可塑性(synaptic plasticity)」でしょう。
 
空海の能力の高さは、自己宣伝や伝聞の類ではなく、捨て身の修行で
非日常を日常に転換できたことで得られたものだとわかりました。
 
でも、私は信仰しているわけではありませんよ。念のため。