藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

常陸国の古墳と桜

東京は桜が満開らしい。ということで今日は桜と古墳を見にゆきました。
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常名天神山古墳の桜です。
前回、常名高架橋を通った際、「常名」って「つねな」? 「とこな」? と
発音が気になって調べていたら名神が目に留まりました。
どうやら古墳の上に鎮座しているらしい…。この地域が征服されたってこと?
そして発音は「ひたな」!?
常陸国風土記』の「直通(ひたみち)からひたちの名がついた」との説や
「筑波(つくばね)に黒雲かかり、衣手(ころもで)ひたちの国」の影響でしょうか?
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しかし、これが今日1枚目の画像とは…。ハードルの高い一日となりました。
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ナビがここで「右折です」と言ったんですよ…。
まさかと思って振り向くと菜の花がきれいでした。民家もありました。
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この画像が不幸の前触れなのか…一本先を右折した私でした。
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台地のテッペンに来ました。桜の木があります。
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砂利道ではなく、草の上を走っています。あのこんもりまで行ってみましょう。
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えええ~?! 何です、これは? 墓地? お寺のあと?
ともかく古墳ではありません。すぐに引き返し、勘を頼りにここまで来ました。
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人家を通り過ぎ、この上り坂ですから、ここしかないでしょう。
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おっと、登り切ったところにこんな障害物が!?
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そのまま進むと、強烈な光がふり注いでいました。
こちら側は木で覆われていますが、斜面です。振り向くと前方後円墳
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手前の前方部に「宝篋印塔」。
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続いて、稲荷社などの境内社が並んでいます。
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後円部墳頂には名神
元は西天神で、大正10年(1921)に東天神および八幡神社と合祀された際、
地名の「常名」をとって名神になったのだそうです。
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元は90mほどもあったというのですから大きな集落を治めた首長の墓でしょう。
さっき間違えて行ったテッペンはかなり広大な平地でしたし。
そのお墓が20mも削られた上、建造物で溢れているとは…!?
 
意外なことに、ここから公道へ出るには、最初に右折した岐路を
そのまま直進するのが早道だとわかりました。
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さっき行ったのは、画像右手のこんもりですね。
細い道を抜けるまでは心配でしたが、広々としたテッペンに出て
草の道を走っていたら、程なく前方に車の往来が見えてきました。
次は土浦市今泉にある愛宕山古墳を目指します。
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画像右側の道路を走ってきました。
V字に回り込まないと古墳が見えないようです。
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うわっ!? ここも墳頂に愛宕神社が建っていました。
常陸国風土記』に書かれているように、常陸国皇軍に平らげられてますから
造営されたままの形で残っていたりはしないんでしょうね…。
 
早々に引き揚げようと来た道を戻っていたら奇妙なストーンサークルが?!
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紫ヶ丘公園? まったく目に入っていませんでした。
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先へ進んだものの、気になって戻りました。
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ここも案内板が見づらくなってますね…。
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現在は工業団地になっている部分もありますが、
かなり大規模な住居跡だったんですね。
土浦市HPによれば、
土浦では、今から一万四千年以上前の旧石器時代から人々がすでに
暮らしていたことを知らせる遺跡が、市内の摩利山・常名・木田余・
田村・沖宿地区などの台地上50ヶ所以上で発見されています。
 縄文時代になると、霞ヶ浦は海とつながった入り江となりました。
人々は土器の発明によって食料を調理・保存できるようになり、
各地に集落も生まれます。上高津貝塚は全国でも有数の大規模な貝塚で、
霞ヶ浦と人々の生活を伝える貴重な遺跡」とのこと。
 
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先の「常名」は旧石器時代からの生活空間で、ここは弥生時代なんですね。
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紫ヶ丘公園の桜。陽当たりが良いので「常名」よりは開いていますね。
 
さて、地図を見ると近くに八幡神社がありますが、道がありません。
とりあえずナビに入れて走ってみました。
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何の因果でカメと同じ道を走っているんだか…。
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しかも、ここで「目的地に到着しました」ですって?!
こんな低地に神社があるはずなんてないでしょ? あるとしたら池の向こうの台地。
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でも行き方がわかりません。諦めて次へ向かうとしましょう。
 
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ナビの指示通りに「中志筑」へ向かっていたら、左手に道がありました。
方向オンチのくせに、地図無しで目的地へ行けることがあります。
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あ、奥に鳥居が見えます!
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左手に目をやると、向こうが崖のようです。
もしかして、さっき見た台地のテッペンに上がってる?
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おお……古代の円形祭祀場ですね。
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社殿右の木がいわゆる御神木でしょうか?
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スミレ…咲いてました!!
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やっぱり、ここはさっき見た台地のテッペンにある円形祭祀場でした。
まだこういう場所が残っていると知れてよかった…。
 
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たぶん旧「千代田村」あたりです。前回(3/18)撮り損ねたのでしっかり撮りました。
もうすぐ「中志筑」ですが、ナビが反応しなくなってるので、またしても勘です。
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いや、ここしか道がないんです。
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ここに突き当りました! ビックリです。
志筑城の陣屋門を移築したらしい…。左折すると須賀神社
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地図上には「須賀神社天王宮」とあり、「牛頭天王」ならスサノヲの本地なので
「須賀」「天王」とも蘇我氏の祭祀かと思います。
陣屋門の右には歴史的建造物!? あるいは個人宅でしょうか?
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あの建物の角、信号を左折して「師付(しづく)の田井(たゐ)」を目指します。
ここから先は2年前の続き…というか宿題です。
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残念ながら、この位置から筑波山は見えません。
ここまでの道、少し離れた場所からは筑波山と「師付の田井」が見えました。
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ただ、この広大な低地のどこか…ということならわかります。
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画像右端に近い、削られて欠けた山が竜神山です。
その手前に「常陸風土記の丘」があります。
2年前に染谷古墳群を素通りしたので再訪してみます。
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駐車場の桜。左手に月が見えています。
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右端は「古代家屋復元広場」とありますが、「古代家屋」ですか?
いずれにせよ作り物を見に行く時間はないため、染谷古墳群へ直行しました。
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え? あれが円墳ですか…。
すでに退色して読めなくなっている案内板を拾い読みしてみました。
染谷古墳群竜神山麓にかけて広がっており、現在までに32基確認されている。
・ほとんどが10~30mの円墳だが、近年になって方墳も造られていたとわかった。
前方後円墳が造られなくなった7世紀頃、石室をもつ方墳が多く築造されたようだ。
 
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詳細は書かれていませんが、ここには上の2基しかないように思います。
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瞑い森なので、木漏れ日が幻想的に写る瞬間があります。
ここが蜘蛛窟だったら嫌だな…と思いつつ演奏修行しました。
 
2年前と同じ橋のたもとで撮った筑波山です。
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日没まではまだ時間があるので、左折して筑波山を背に走ります。
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あの、木の幹が目立つこんもりに染谷鹿島神社があるようです。
鹿島神社なのに祭神が武甕槌命豊受姫命市杵島姫命・足伸彦命・気長足姫命?
常陸国には夥しい数の鹿島神社香取神社がありますが、蝦夷征伐以前に
創建された神社は書き換えられた可能性を考慮する必要があるでしょう。
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この道は参道というより生活道路として使われているようです。
急勾配なので無理か…と思いましたが、キャノピーが頑張りました。
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階段を登らず直進したら、社殿の裏に着きました。
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正面にまわったら筑波山が見えました。筑波山の山頂にも「高天原」があり、
祭神が豊受姫なので、やはり海人族の祭祀でしょうか?
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桜はほぼ蕾でしたね。ここでも月が見えました。
 
さあ、16時半になりました。6号線に向かいますが、
6号線から見えるこんもりの中に鹿島神社があるようなので探してみます。
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あのこんもりですか…、最後までハードルが高いですね。
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"シマ"の周辺をぐるぐる廻りつつテッペンまで辿り着きました。
が、入り口がわかりません。空を仰ぐとまた月が見えました。
農家の方にお尋ねし、参道を教えていただきました。
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やっと社叢が見えました。住所はかすみがうら市下土田です。
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鳥居の右手に桜の木がありました。ここも、まだ早かったようですね。
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17時のチャイムが鳴り始めたので、そろそろ帰ります。
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今日も春を満喫できました! またお花見に来ます。
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ただひたすら6号線を南下しています…。