藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

霞ケ浦からの風

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現実逃避のバイク旅。潮来市大生(おほふ)古墳群を目指してます。
 
今夏、作曲者が自作と認めていない作品を勝手に演奏・録音した人が居ると
著作権継承者から伺い、今後、マナーや法律が無視されることを防ぐには
どうすればよいのか、その対策について大勢の方と話し合ってきました。
そろそろこの非常識な"事件"を忘れたくて家を出ると、バイク日和でした。
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51号線を走って北利根橋を渡り、大賀牛堀線に入ります。
このあたり、かつては海(霞ケ浦)大生古墳群のある台地までの
こんもりが島みたいに点在していたのかもしれません。
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このまま直進すれば大生古墳群へ行けるのですが、水戸神栖線を右折して
南下すれば「貝塚農村公園」があるので立ち寄ってみます。
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ここですね、地図に公園の隣は熱田神社とありました。
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貝塚農村公園」とありますが、現住所は潮来市築地。
ここにはかつて小学校があったそうです。
グラウンド・ゴルフの旗を立てていた女性が教えて下さいました。
ただ、その方は当地へ嫁いでこられたため、
なぜ「貝塚」の名がついているのか、わからないとのこと。
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公園から下りていたら、斜面に僅かながら白い貝殻の欠片が見えました。
「この貝はかなり新しそうに見えますが?」と訊ねると
「畑を耕しても、貝が出てきますよ」とのことでした。
やっぱり貝塚だったのか?
との疑問を抱えつつ走っていたら「水戸黄門お手植えの桜」が!?
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「奇桜」がほんとに樹齢330年かどうかはどうでもいいんです。
右の看板左下の「築地区」の隣に「貝塚区」の字があります!!
昔から「貝塚」と呼ばれていたと仰ってましたし…字(あざ)名だったのかも?
 
数分走ると大生古墳群
大生原台地には110余基からなる古墳群が存在し、その集中状態から
「大生東部古墳群」「大生西部古墳群」「カメ森古墳群」「田ノ森古墳群」に
四大別されているそうです。
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あれ? 「鹿見塚古墳」の前をワンちゃんが走っています。
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こっちへ来そうですね。
至近距離まできたら、痩せた野良犬でした。
何も持っておらず、近くにコンビニもなく、ごめんなさい…でした。
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ワンちゃんが走っていた道に轍があったので、バイクで入りました。
何度か見た、大生古墳群で一番目立つ「鹿見塚古墳」です。
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ここは「大生西部古墳群」なんですね。
大生神社の西側に位置し、県指定史跡・鹿見塚古墳をはじめ、子子舞塚古墳、
天神塚古墳など20数基の古墳を包括する。古墳時代中期の築造と推定される
大生古墳群の被葬者は鹿島神宮と密接な関係のあったオフ(多・飯富)氏一族であり、
子子舞塚(まごまひづか)はその奥津城であったことが各方面から立証されている。
潮来市公式ホームページにありますが、本当でしょうか?
「鹿見塚古墳」とくれば、北部九州から五絃のコトを携えて常陸国へ移住した
「志賀の海人」を連想してしまうのですが?
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「子子舞(ま)塚」ではなく、「子子前(ま)塚」となっています。
すでに古墳は、ごく一部を残し、削平されていました。
さっきの「鹿見塚古墳」より大きな前方後円墳で71.5mもあったらしいのに?
発掘調査の結果、人骨二体・玉・耳環・直刀・鉄鏃・刀子・埴輪などが出土した
「子子前塚」は7世紀頃のものと推定されているそうです。
ただし大生古墳群の築造時期は古墳時代中期(5世紀)または
6世紀後半~7世紀後半と広範囲にわたっており一筋縄ではいきません。
この件に関しては、以前、下記の文書を引いて私見を述べています。
 
東家累代系譜の『鹿嶋大明神御斎宮神系代々』にこうあります。
平城天皇の御代(大同元年11月14日)東征の官軍が常陸国行方郡に陣を敷いた際、
営中で斎宮(物忌)と当禰宜常元(東常元)らが「大生大明神」を創祀。
「南都大生邑大明神(多神社)」からの勧請で、古く「大生宮」と号す。
●大同2年、東夷の帰順を受け、「大生宮」が勅によって
12月27日に「いまのかしまの本社」(鹿島大谷郷)遷座
 
大同元年とは806年。
9世紀初頭に大和の多神社勧請の「大生大明神」を奉斎した一族の古墳が
6世紀後半~7世紀後半に築造されていたなんてことがあり得るでしょうか?
 
この一帯は地図に「茨城県水郷県民の森」とありました。
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駐車場に2台ほど車が停まっていましたが、散策中なのでしょうか?
私はこれから更に北上したいので、先を急ぐことにします。
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こちらは駐車場からも見える「8号墳」。ここから矢幡潮来線へ引き返しました。
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矢幡潮来線へ戻り、北上しつつ撮った「天神塚古墳」↑ 。
その先、大生神社方面へ曲がる道から撮った「白幡八幡塚古墳」↓ 。
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なだらかな円墳に見えますが、大生神社を訪ねた際には気づきませんでした。
迷いに迷って、よほど焦っていたのでしょう。
「白幡八幡塚古墳」と大生神社の直線距離は、僅か200mでした!?
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最初に大生神社を訪れた時にも読んだ由緒です。
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御雷ということは、御雷も作られたのでしょうか?
先住の海人族が、朝廷の軍神(鹿島・香取)に駆逐され、
ヤマトから来たオフ氏が当地を支配したということでよろしいですか?
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さっき「貝塚農村公園」へ上ってからずっと、このような平坦地でした。
が、大生神社の先を北上すると、北浦に面した大賀延方線への下り坂になります。
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最初に来た際、行き止まりと書いてある右の道にあった鳥居を見つけて進みました。
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今回、比高約20mの台地にあるこの鳥居の奥に「鳳凰台城」があったとの
情報を得たため再訪してみました。
鳳凰台城」は「大生城」とも呼ばれ、所在地は潮来市大生鳳凰
しかし、さっきの二股には「鳳凰台城跡」の表示はありませんでした。
 
伝承によれば、桓武天皇の皇子葛原親王から14代の後裔たる八郎平玄幹(はるもと)
1183年にここ鳳凰に城を築いて大生氏を名乗ったため、
鳳凰台城」は「大生城」とも呼ばれた。とのことです。
すると、大生古墳群のオフ(多・飯富)氏と大生(オホフ)氏は無関係ということになります。
ならば、ここ「大生城跡」の真南1.1kmにある古墳上に大生氏が建てた大生殿神社
大生神社もまったく関係なかったわけですね。
 
12世紀末に「鳳凰台城」を築き、当地を治めた大生氏ですが、その後
「南方三十三館」と称された鹿島・行方両郡の諸豪族の筆頭的立場にあった
島崎氏に攻略され、「大生城」は島崎城の出城となります。
その島崎氏も、天正19年(1591)2月、佐竹義宣によって滅ぼされ、
佐竹氏が秋田に移封されると「大生城」は廃城となりました。
今その面影を伝える遺構は残っていません。
 
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鳳凰台城」のあった台地を下り始めると、坂の真ん中あたりで北浦が見えました。
これから、真正面の対岸へ行きます。
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2019年2月12日に渡った、あの白い橋の手前が目的地です。
同じ場所を何度も何度も通るという効率の悪さは改善されていません。
そうだ、いま下りて来た鳳凰台を撮っておきましょう。
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ここが台地の先端だったということがはっきりわかりますね。
海人族の好きな地形です。
 
では、潮来市大生から行方市根小屋へと北上します。
「ネコヤ」地名は各地にあるため、「オホタタネコ」との付会?
アメノコヤネ」の暗示? などと妄想を逞しくしているわけです。
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根小屋まで来ました。実はこの辺りからナウマンゾウの化石が出ているんです。
根小屋八幡宮はあのこんもりにありそうですね。
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ナビが何も言わないので通り過ぎるところでした。
かつてはこのあたりまで北浦の水が来ていたかもしれません。
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とりあえずバイクで行けるところまでと決めて、鳥居まで来ました。
が、ここにバイクを停めて一人で登るほど向こう見ずではありません。
あっさり引き下がり、嬪野(よめの)神社へ向かいます。
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行方市宇崎です。「サキ」地名なので、この辺りまでが北浦だったのでしょう。
嬪野神社の社頭がミナト(水門)だったと考えるのが普通かと。
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社頭から見た北浦です。
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やはり海人族の好きな突端の台地に鎮座する神社でしたね。
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現在は海岸線が遠いのですけれど、ナウマンゾウの化石が出たと知って来ました。
瀬戸内海からもナウマンゾウの化石が出ていて、1988年の瀬戸大橋開通に際し
作詞作曲させて頂いた《瀬戸大橋讃歌》の歌詞に詠み込みました。
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大同2年創建ということは、皇軍の東国征伐の際、
月讀命を奉斎する海の民が平らげられ、皇軍タケミカヅチが取って代わった
ということですよね? やっとW祭神のしくみが理解できるようになりました。
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階段の先はずっと自然道でした。
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先が見通せず、どこまで続くのかわからない山道でしたが、やっと鳥居が見えました!!
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たしかに「嬪野神社」と書いてあります。
古代歌謡はわざうたなので、歌詞の隠喩をどれだけ読み取れるかが勝負です。
ずっと「ヨミ」と「ヨメ」の語尾変化について考えてきたので、
祭神の「ツキヨミ・ツクヨミ」と「黄泉」「嫁」が繋がると面白くなります。
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おっと、「御頭勤番帳」とは何ぞや?
行方市ホームページにこうありました。
「御頭(おとう)」とは、嬪野神社例大祭の当番のことで、輪番で勤めています。
1年間神社の鍵を預かり神前と社内の清掃を行います。
御頭の家に神座を設け御神体を祀り、「御頭勤番帳」という1年間の出来事が
記された帳面を保管し、例大祭の日に次の当番へと受け渡します。
元禄12年(1699)に記帳が始まった「御頭勤番帳」は、現在まで
1年も欠かさず記録されており、それを記すのは当番の仕事です。
内容は、御頭の受け渡し、天候の順不順、作物や漁獲物の豊凶、穀物相場の変動、
流行病の侵入とその対策、集落内の出来事などが記録されており、
歴史や民俗学の貴重な資料とされています。
 
また、杭の上部に「麻生町指定文化財第二号」とあるのも気になりました。
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現住所は行方市宇崎ですが、以前は行方市麻生町宇崎だったということなのでしょう。
 
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社殿まで行くと、右手にバイクで走れそうな道がありました。
でも、ここは徒歩でよかったかな…と思います。久々の森林浴だったので。
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帰りは太陽に向かって歩くことになり、木漏れ日の爆発!? が見られました。
 
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今年は、季節が、菜の花から一気にススキに移ったかのようでした。
宇崎からは県道185号繁昌潮来線をひたすら南下して往路に渡った北利根橋を戻り、
稲敷大橋を渡って浮島から西進するという、霞ケ浦沿いのルートを走ります。
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霞ケ浦越しに行方市が見えるところまで来ました。
が、うかうかと景色を楽しんでいたら、とんでもない落とし穴が!!
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最初、無防備なまま、これより大きい穴に立て続けに嵌まり、
バイクがひっくり返るんじゃないかと肝を冷やしました。
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やっと舗装路に出ました~! いくら何でもここまでの道は酷すぎる。
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肉眼ではトラックの右横に筑波山が見えているのですが、霞んでますね…霞ケ浦
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筑波山…正面に見えているのですが。ハッキリ撮れず、すみません。
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稲敷大橋が見えてきました。ここまでは対向車も無く、霞ケ浦を堪能…。
あとは206号線をひたすら西へ進むのみです。
今日の仕上げは三度目の挑戦となる稲敷市「古渡(ふっと)」の熊野神社
常陸国風土記』行方郡にある「ふつに斬る」の候補地でもあります。
 
痛く殺すと言ひし所は、今、伊多久(いたく)の郷と謂ひ、
ふつに斬ると言ひし所は、今、布都奈(ふつな)の村と謂ひ、
安く殺(き)ると言ひし所は、今、安伐(やすきり)の里と謂ひ、
(よ)く殺(さ)くと言ひし所は、今、吉前(えさき)の邑と謂ふ。
 
鹿行(ろっこう)地域の地名と付会させられた「ふつに斬る」は潮来市
「古高(ふったか)」となってますが、稲敷市「古渡(ふっと)」説も有力です。
(常陸国に限らず、どれほどの先住民が皇軍によって「痛く殺され、ふつに斬られた」ことか!?)
「古渡」および対岸の「信太(しだ)古渡(ふっと)」は、小野川が霞ケ浦
注ぐ入り江にあることでもわかるように水運の重要な拠点でした。
以下のブログに信太古渡の須賀神社裏の現在の船着場を載せています。
常陸国では水際に鎮座する須賀神社が多く見られますが、
「古渡」の熊野神社をナビに入れると、必ずここが目的地になるので困ります。
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今回もまた、ここで「目的地に着きました」と言われました。
が、三度目ですから、左奥の細い道を進めば良いとわかっています。
ただし、これまでは鳥居の前まで到達できませんでした。なぜか?
無事突破できたので、先に答えとなる画像をお見せしましょう。
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境内から鳥居の方向を撮りました。真正面に建物があります。
過去2回は人の気配があり、入り口が開いていたので声をかけてみたものの
返事がありませんでしたが、今回は建物の入り口が閉鎖されていました。
しかも、敷地がロープで囲まれていて直進できません。
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画像中央のバイクからは、落ち葉に覆われた泥濘を通って迂回するしかありません。
ただ、以前よりも片づいていて、木も太陽光が入る程度に伐採されていました。
それでこの位置まで足を踏み入れたら、以前は見えなかった社殿が見えたのです。
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たまたま先客が車を停めたまま、どこに神社があるのか悩んで居られたので、
三度目の私がここまで入って「社殿がありますよ」とお声がけしました。
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鳥居の前まで回り込むと、車から降りた男性が両手で杖をつきながら到達されました。
茨城百景をまわっておられるのですか?」と質問されて思い出しましたが、
「古渡」は茨城百景に選ばれてましたね。「古渡の潮畔(稲敷市)」の項に
「堂崎、上馬渡潮岸、興禅寺、熊野神社を含む」とあり、撮影にいらしたそうです。
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少し伐採されたとはいえ、まだまだ鬱蒼と生繁っていて、ド迫力です。
今回は必ず到達する覚悟で来たものの、先客がいらしてラッキーでした。
一人では鳥居をくぐるだけでも怖いし、演奏なんて考えられませんでした。
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16:10、夕日が射し込んできました。
「ここで神楽歌を一曲演奏したいので、撮影の邪魔にならないよう
あの土手に上がりますから」と申し上げて登りました。
いつものことながら、社殿までは上がっていません。階段すらも!?
しかし、いくつものこんもりは、まるで蜘蛛窟ですよね…。
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帰途に就くべく須賀神社まで戻り、ナビの指示通り直進したら
小野川に面した鳥居がありました。さて、どちらの一ノ鳥居やら?
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扁額がなく、須賀神社の鳥居なのか熊野神社の鳥居なのか、わかりませんでした。
というか、皇軍に平らげられる前は別の祭祀だったはずなので無意味です。
さぁ、小野川を渡って帰るとしましょう。
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その名も「古渡橋」。16:31、日没が早くなりましたね…。
今日も一日ありがとうございました。