藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

やまとうたのふるさと in 京都

19日の「やまとうたのふるさと」は正午集合。
午前中は一人で嵯峨嵐山駅付近を散策することにして、先ずは
後亀山天皇が応永31年4月12日(1424年5月10日)崩御された大覚寺へ。
嵐山のホテルを出た時には雨が降っていましたが、大覚寺大沢池はこんな感じ。
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鴨…でしょうか?
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こちらは鴛鴦? 裸眼ではよくわかりませんが、
静かに時間が流れてゆく感じ…。
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さすがに嵯峨天皇離宮として建てられ、明治初頭まで代々皇統の方が
門跡(住職)を務めた格式高い寺院だけあって、菊の御紋が輝きを放っています。
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歩いていたら鳥居がありました!
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五社明神空海の勧請ということで嵯峨天皇とのつながりの深さがわかります。
大覚寺の前身 離宮嵯峨院を愛した嵯峨天皇は、空海弘仁7年(816)
高野山開創の勅許を与え、同14年(823)に東寺を下賜されました。
 
東寺といえば空海の母方 阿刀氏が深く関わっていました。
その阿刀氏の神社が近くの「嵯峨広沢南野町」にあるので
この機会に訪ねてみることにしましたが、駐車スペースがありません。
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タクシーの運転手さんに頼み込み、待っていただけることになりました。
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入り口で予想した通り、マンションと民家の間に窮屈そうに鎮座してました。
式内社でも往時を想像できない神社は少なくありませんね。
 
さて、待ち合わせまであと少し時間があります。
上下の御霊神社を回ってゆけば丁度良い時間帯に着けそうです。
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ふ~む、政治抗争の中で冤罪を被り非業の死を遂げ、怨霊となった貴人を
「御霊」として祀ることで、逆に災厄から守ってもらおうと考えたとは!?
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しかし、おどろおどろしい感じですよね?
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三つ鱗紋ですか…。当社HPの由緒に「いわゆる御霊とは
崇道天皇、伊豫親王、藤原夫人、及び観察使、橘逸勢、文屋宮田麻呂の事である
とありますが、どなたの紋が三つ鱗なのでしょう?
それとも別の境内社
 
北上して上御霊神社です。
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桓武天皇の御宇延暦13年5月崇道天皇の神霊を現今の社地に祀り給ひしを
始めとす。其後仁明天皇清和天皇両朝に至りて井上内親王他戸親王
藤原大夫人、橘大夫、文大夫の神霊を合祀せられ、貞観5年5月廿日神泉苑
六座の神座を設け悪疫退散の御霊会を勅修あらせられたる
というのは下御霊神社と重なりますね。
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ずいぶん立派な造りですね…。
鞍馬口」駅から近いからか、お客様(?!)が大勢いらしてました。
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下御霊神社で奉祀している「八柱の神霊」とはこちらでよろしいでしょうか?
崇道天皇(早良親王光仁天皇の皇子・桓武天皇の同母弟)
伊予親王(桓武天皇の第3皇子・母は藤原吉子)
●藤原大夫人(藤原是公の娘 吉子・伊予親王の母)
井上内親王(聖武天皇の皇女・光仁天皇の皇后・他戸親王の母)
●観察使(藤原仲成または藤原広嗣)
●橘大夫(橘逸勢)
●文大夫(文屋宮田麻呂)
 
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"和歌詠み隊"の最初の目的地は志明院でした。
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敷地内は高低差が450mほどあるそうで、期待大でしたが、
この入り口でカメラと手荷物を預けさせられ、画像がありません。
 
志明院は通称「岩屋不動」。歌舞伎十八番『鳴神(なるかみ)』で
鳴神上人龍神を閉じ込めた所として広く知られています。
新しいところでは、司馬遼太郎氏が新聞記者時代に志明院に宿泊した際の
奇っ怪な体験を聞いた宮崎駿監督が『もののけ姫』の着想を得たそうです。
 
寺伝では白雉元年(650)修験道の開祖 役行者(役小角)が創建し、
天長6年(829)淳和天皇の勅願により空海が再興。
1550年頃までは谷々を埋める坊が40以上ある巨刹だったそうです。
淳和天皇空海に再興を託したのは、神降窟(しんこうくつ)という高さ約30mの
大岩窟に滴る鴨川の最初の一滴を皇室が深く崇敬していたためとされています。
 
志明院の画像はありませんが、手前の式内社厳島神社(旧 弁天社)のはあります。
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こちらは式内社ですね。
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「天津岩門別稚姫神社」ですか…。祭神が出現した岩門岩とやらを探せず残念です。
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山の斜面にへばりつくように建てられていたのが印象的でした。
ここ「雲ケ畑」からは「大原」を目指します。
 
やっと来られました寂光院
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観光客は多かったのに、ここは静かでした。
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聖徳太子の開基と伝わる寂光院左京区大原にある天台宗の寺院です。
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一般には『平家物語』ゆかりの寺として有名ですね。
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平家滅亡後、平清盛の娘 建礼門院徳子が隠棲した庵室跡です。
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「大原菊」が咲いていましたが、これが菊?!
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しん…とした素晴らしい空間です。
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文治2年(1186)4月、後白河法皇寂光院建礼門院を訪ねた「小原(大原)御幸」の
エピソードは、2人の関係を暗示するために書き残されたのでしょうか?
 
さあ、和歌を詠む「やまとうたのふるさと」の最後は勝手神社です。
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吉野の勝手神社が、なぜ大原に?
ということで探し歩きましたが、どうやらここが参道みたいですね。
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「勝手大橋」ですって?! 高野川の支流のようですが。
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残念ながら由緒も何もわかりませんでした。では演奏修行のみ。
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天気予報では降水確率90%ながら、一度も傘をささずにすみ、
良い京都旅行(やまとうたのふるさと)になりました。
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御同行いただいた皆さま、ありがとうございました。