19日の「やまとうたのふるさと」は正午集合。
午前中は一人で嵯峨嵐山駅付近を散策することにして、先ずは
嵐山のホテルを出た時には雨が降っていましたが、大覚寺の大沢池はこんな感じ。
鴨…でしょうか?
こちらは鴛鴦? 裸眼ではよくわかりませんが、
静かに時間が流れてゆく感じ…。
門跡(住職)を務めた格式高い寺院だけあって、菊の御紋が輝きを放っています。
歩いていたら鳥居がありました!
高野山開創の勅許を与え、同14年(823)に東寺を下賜されました。
東寺といえば空海の母方 阿刀氏が深く関わっていました。
その阿刀氏の神社が近くの「嵯峨広沢南野町」にあるので
この機会に訪ねてみることにしましたが、駐車スペースがありません。
タクシーの運転手さんに頼み込み、待っていただけることになりました。
入り口で予想した通り、マンションと民家の間に窮屈そうに鎮座してました。
式内社でも往時を想像できない神社は少なくありませんね。
さて、待ち合わせまであと少し時間があります。
上下の御霊神社を回ってゆけば丁度良い時間帯に着けそうです。
ふ~む、政治抗争の中で冤罪を被り非業の死を遂げ、怨霊となった貴人を
「御霊」として祀ることで、逆に災厄から守ってもらおうと考えたとは!?
しかし、おどろおどろしい感じですよね?
三つ鱗紋ですか…。当社HPの由緒に「いわゆる御霊とは
とありますが、どなたの紋が三つ鱗なのでしょう?
それとも別の境内社?
北上して上御霊神社です。
六座の神座を設け悪疫退散の御霊会を勅修あらせられたる
というのは下御霊神社と重なりますね。
ずいぶん立派な造りですね…。
「鞍馬口」駅から近いからか、お客様(?!)が大勢いらしてました。
上下御霊神社で奉祀している「八柱の神霊」とはこちらでよろしいでしょうか?
●橘大夫(橘逸勢)
●文大夫(文屋宮田麻呂)
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"和歌詠み隊"の最初の目的地は志明院でした。
敷地内は高低差が450mほどあるそうで、期待大でしたが、
この入り口でカメラと手荷物を預けさせられ、画像がありません。
1550年頃までは谷々を埋める坊が40以上ある巨刹だったそうです。
大岩窟に滴る鴨川の最初の一滴を皇室が深く崇敬していたためとされています。
こちらは式内社ですね。
「天津岩門別稚姫神社」ですか…。祭神が出現した岩門岩とやらを探せず残念です。
山の斜面にへばりつくように建てられていたのが印象的でした。
ここ「雲ケ畑」からは「大原」を目指します。
やっと来られました寂光院。
観光客は多かったのに、ここは静かでした。
一般には『平家物語』ゆかりの寺として有名ですね。
「大原菊」が咲いていましたが、これが菊?!
しん…とした素晴らしい空間です。
エピソードは、2人の関係を暗示するために書き残されたのでしょうか?
さあ、和歌を詠む「やまとうたのふるさと」の最後は勝手神社です。
吉野の勝手神社が、なぜ大原に?
ということで探し歩きましたが、どうやらここが参道みたいですね。
「勝手大橋」ですって?! 高野川の支流のようですが。
残念ながら由緒も何もわかりませんでした。では演奏修行のみ。
天気予報では降水確率90%ながら、一度も傘をささずにすみ、
良い京都旅行(やまとうたのふるさと)になりました。
御同行いただいた皆さま、ありがとうございました。