「贄(にへ)」とは、神に供える捧げ物、天子に献上する魚や鳥などの食物を
意味し、神と首長が新穀を共食する新嘗(にひなめ)と関係します。
『日本書紀』に「にはのあひ」→「にはなひ」とあります。
自らも食する重要な宮中祭祀です。
とはいえ「大嘗祭」の祭儀は途絶えることが多く、
18世紀の桜町天皇から復活して現代に至っているそうです。
そもそも共同体の収穫物を神や首長に捧げる初物献呈儀礼であった
「には」「にへ」が「新嘗祭」に転じた背景には
征服された共同体が征服者へ自ら収穫した食物を貢献することを
服従の証しとする意味あいもあったようです。
利用して天皇直轄の私経済を築こうとしたとも言われています。
『延喜式』にある「年料の贄」「節料の贄」「旬料の贄」等に対し、
その収蔵場所は内膳司(大膳職)および内裏の贄殿でした。
また、贄木簡には個人名は記されず、通常は国・郡・郷名に
「海部(あまべ)」と記載されていたそうです。
これは、20年に一度の伊勢神宮の式年造替を開始するために必要な
建築資材や祭祀食材を調達しようとした持統天皇が、死の直前まで
環伊勢海ネットワークを作ろうと奔走していたこととも重なります。
祭祀形態の基盤が作られたと言われる所以かと存じます。
祭祀についても考えてみる必要がありそうです。
新幹線の中で↑をUPしたのち、新大阪で友人にピックアップして貰いました。
そして、またしてもタイトルと違う行程となってしまいましたが、
明日はきっとテーマに近づけるのではないかと…?
今日の大阪~奈良は午後から晴れる予報でしたが、
雷雨に見舞われたり、青空になったり、こんな雲まで見てしまいました!?
最初に訪れたのは前々から行きたかった跡部(あとべ)神社。
もちろん空海の母方 阿刀(あと)氏と無関係ではありません。
東寺の真北に鎮座する石上神社へ行った折、かつてそこに
阿刀氏の館があったことを知りました。
ただし、そこは平安京遷都に伴って阿刀氏が祖神を遷した場所で、
讃岐の善通寺ものんきに構えてはいられなくなりましたね。
現在の社家は跡部氏とも阿刀氏とも無関係だそうですが、
阿刀氏の本拠地へ足を運び、演奏修行までやらせて頂けて満足しました。
廣瀬大社へ行くつもりが、ナビに狭い道を指示されてバックするほかなく
狭い道沿いにあった水分(みくまり)社にのみ立ち寄りました。
現在は祠のみとはいえ、奈良盆地を流れる多くの川の合流点という立地から
当地に水分社が鎮座していたことに納得した次第です。
ここから本日の目的地「海石榴市」を目指す道すがら鏡作神社と耳無井へ。
由緒のわりには普通の神社でしたが(実は跡部神社の社殿と区別がつかない感じ?!)?
耳成山の北麓にある耳無井、別名大師井戸へ。
本当は南麓から登って耳成山口神社へ行きたかったのですけれど
徒歩であがるしかなく、時間が無いため諦めました。
そして、いよいよ初瀬谷最古の神社と言われる玉列(たまつら)神社へ。
え? 大神神社の摂社?! 不思議ですね…。
日本最古の市と言われる「海石榴市」の名前の由来になった神社なのに?
気になって調べたら、
旧村社で大正10年に大神神社の摂社となったそうです。にも拘らず、
また、古く玉椿大明神と呼ばれたのは背後の山に椿の大木が多いから
と言われるものの、「海石榴市」の名を含め、どちらが先かはわかりません。
由緒がわからない上、社殿が工事中のようだったので、かつて玉列神社の
神宮寺だった慈恩寺の行場とも言われる赤井谷不動堂まで足をのばしてみました。
夕方以降に一人でくるとこわいかも…。
着きました。少し歩いただけで雰囲気がガラッと変わります。
こんな不思議な木もありました↓
縄にしか見えませんでした…。
演奏修行をして駐車場へ戻ると、さっきまでの雨模様が嘘のように晴れてました。
今度は車であの山へ登ります。
先ずは北麓の聖林寺へ。
古代の「海石榴市」を見下ろせる場所でしたが、
聖林寺の拝観時間は16:30まででした。
やむなく御破裂山を登り談山神社へ。
しかし、こちらも同じく営業終了!?
駐車場から、池に浮かぶ祓戸社だけが見えました。
大化改新の密談を交わしたと伝わるためです。
ここから明日香村方面へ向かっていると、こんなものが?!
「もう来んの森」?! ダジャレですか…?
しかし、蘇我入鹿の首に追われて来たと伝わるだけあって迫力満点の空間でした。
演奏修行が終わる頃には夕陽がさしていました。
ここで、今日は時間切れ!?
橿原神宮前駅近くのレストラン桑名があまりにも美味しかったので
再訪することに決めました!!
今日のスープはサツマイモ、そして生ハムのサラダ、
贅沢にも山形牛のワイン煮をソースにしたオムライス、
選べるデザートにコーヒーで 2,100円!?
あまりに安過ぎて目が飛び出ました!!
そして何よりも、今日一日サポートして下さったT様に感謝。
長時間、ほんとうに本当にありがとうございました。