突然ですが、水戸黄門も愛でたという大戸桜を見にきました!
が、見つかりません!?
樹齢500年超の国指定天然記念物なのに。
検索してみたら、昨年行かれた方が
「現在は幹が腐り、ひこばえ(孫生え)に変わっている」と書かれていました。
ホントかなぁ?
広場の左手には古社らしき鳥居!
何と読むのでしょう? 私は「イシミ」派ですが。
『延喜式神名帳』には「イハリノ」とあるようです。
ほかに「イシン」「イシム」「ヒナハリ」などと読まれているそうです。
確かめたくて来たのですけれど、たぶん時間的に無理だと思います。
水郡線は1時間に1本程度しかないので、水戸で30分待つよりは…と
常陸大宮からタクシーで巨石を拝す(本殿がない)という石船神社へ。
川もあり、古代の神社の形態を備えているように見えますが?
天磐船があるとしたら、川沿いだと思い、拝殿に向かって左手にまわりました。
本殿らしきものがありますが?
いや、やはり御神体は巨石「兜石」ですね…。
囲いの隙間からカメラを入れて撮ってみました。
そして川沿いには乗り捨てられたかのような石の舟がありました。
これもメーソンの仕事でしょうか? 天磐船のつもり?
旧 桂村(現 城里町)岩船(いはふね)にある石船神社の由緒は不明なれど
それ以前に創建されていたことはたしかです。
しかしながら境内にあった案内板は…
案内板があっても無くても困る例ですね。
祭神が「天鳥船命」なら、川沿いに置かれている舟形石が祭祀の対象なのでは?
それとも「兜石」が空を飛ぶ天磐船だとでも?
タクシーの運転手さんは「山桜が咲いたら家族と来ますよ」と仰っていました。
私は自生している「藤の群生」に興味がありますが、遠いので…。
ともかく運転手さんのお蔭でロス無く丁度1時間後の電車に乗れました。
まだ16時前だというのに既に薄暗いのですが、
水戸家の寺社改革について知りたいので頑張って大甕駅へ。
駐車場から山頂までは10分余りと聞き、5分ほど走りました。
走りながら撮ったのでブレブレですみません。
帰りの特急に遅れないよう、山頂でもこの一枚しか撮らず
大慌てで大甕駅に引き返しました。
新たに整備されたというか、つくり込まれた空間ですねぇ…。
江戸時代とありますから、間違いなく水戸藩が風神・雷神としたわけですね。
「鬼が住んでいた」との言い伝えは、もしかすると吉備での鬼退治と同じく、
先住民が金属の精錬などに関わっていたことを暗示しているのかもしれません。
石高の明示もなく出羽国への転封を命じ、秋田仙北へ追いやった背景には
同族で常陸から甲斐に転じた武田氏の場合と同じく
「金山」を奪う目的があったのではないかと妄想しています。