藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

萩→長門→むかつく半島

起床後、ホテルの窓から撮った指月山。
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8:50にタクシーを頼んでおいたのでフロントへ行くと
何と昨日の運転手さんが来て下さっていました!
昨日、萩城跡だけは見ていった方が良いと勧められていたので、
萩城経由で玉江駅まで」とお願いしたら、
「今日一日、ユミさんはあの荷物を抱えてどうやって電車を乗り継ぐんだろう…
と心配していたら、朝一番で無線が入ったんで、一日貸切で安くさせて下さい」
と破格の値段を提示されました。
「でも宇部まで行くので帰りが大変です。そんな値段ではとても…」
と言っているうちに着きました。
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物凄い堀がはりめぐらされています。
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学生時代の友人に毛利家のお嬢様が居たので懐かしく思い出しました。
そして日本では萩でしか見られないミドリヨシノ!
これがまさに透き通るような肌をもつ色白の彼女のイメージと重なりました。
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植物分類学的位置を評論する場合の基準標本の原木…?
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それでは志都岐山神社へと向かいます。
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桜をご覧になっている方は大勢いらっしゃいましたが、
神社まで行かれる方はほとんど居ないと運転手さんが仰います。
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ほんとうに静かな空間でした。
祭神は毛利家歴代藩主、神紋は毛利家の「一文字三つ星」です。
やっぱり運転手さんのススメに従ってよかった…と
上機嫌で長門市に向かいました。
 
今日のお目当ては赤﨑神社楽桟敷」ですが、
手前に旧県社飯山八幡宮があったので立ち寄ってみました。
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社伝によれば、
奈良時代宝亀3年(772)宇佐宮の御告によって、深川川河口の薦池で神宝を
安置し直ちに湊浜ノ宮に祀り、次いで大同2年(807)に現在地の飯山へ遷座
とのことで、ここで「薦」の字を見ようとは…!?
(「宇佐=薦」というより、国東半島の先住民の祭祀が「薦枕」だったと想像していますが?)
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残念ながら内部リフォーム中にて、ここまでで退散。
HPに「赤﨑神社は境外摂社」とあったことから、
赤崎神が八幡神に駆逐されたのかも? と妄想しておりますが?
飯山八幡宮から深川小学校を挟んで赤﨑神社がありました。
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この右手に「楽桟敷」がありますが、先ずは上ってみましょう。
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あ、「楽桟敷」が見えますね!!
運転手さんがあとで演奏画像を撮ってくださるそうです。
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赤﨑神社の参道、よくお手入れされています。
楽桟敷」まで下りたら石碑が建っていました。
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今回の旅で最も楽しみにしていた「楽桟敷」で演奏できました~。
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日本に自然を利用したこんな舞台があったんですね…。
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いわゆる農村舞台で、江戸時代に農村歌舞伎や村芝居が盛んになって作られたとか。
最後に赤﨑神社ともどもカメラに収めてお別れしました。
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ここからは本当に気が進まないのですけれど、元乃隅神社を目指します。
CNNが選んだ『日本の最も美しい場所31選』として紹介され、
一躍外国人が訪れる長門の名所になったのだそうです。
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ただ、口コミを見ると、
「鳥居に塗られたペンキがあちこち飛んで、植物にも付着していた」とか
「高校の文化祭の出し物みたいで、神社の格式が高いとは思えない」とか
手厳しいものが結構ありました。
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「昭和30年に、地域の網元 岡村斉(ひとし)さんの枕元に白狐が現れ、
『吾をこの地に鎮祭せよ』とのお告げがあったことにより、建てられた」
とあって驚きました。人がキツネに動かされた? キツネを信じた?
どんな背景があってCNNが取り上げたのかわかりませんが、きっと風景は
素晴らしいはずだし、自分の目で見ておこうと考えた次第です。
 
運転手さんが仰るには、連休だと細い道に車がビッシリ連なって
駐車場まで何時間もかかることがあるそうですが、今日は大丈夫とのことで
ゆっくりと観光しながら向かうことに。
「あ、ちょっと停めて下さい。なんだか立派な社殿がありますよ?」
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地図には載っていませんでしたが、由緒書がありました。
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(ひいらぎ)神社という社名は初めてで、珍しい名前を知ることができました。
 
次は運転手さんおススメの「千畳敷」。
標高333mの高台に広がる草原「日本海を望む大広間」だとか!?
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広すぎて全景を撮ることはできません。靄ってますし。
 
次は棚田へ行くそうです。
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うわぁ~きれいですね。
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海の向こうに見えている突端に目指す河内神社があるはずです。
 
さて、やっと元乃隅神社へ着きましたが、風が強かったので、
2-3枚写真を撮っただけで、たこ焼き屋さんに入りました。
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…で、8個入り2皿をペロリと食べた直後に小麦アレルギーだったと判り、真っ青!?
 
あとは湯谷川尻郵便局を目指すのみ、と走っていたら、突然
多賀神社ですよ」と声をかけられました。
最初に「帰りに寄れれば」と話したことを覚えていて下さったのです。
「帰りはずっと356号線(楊貴妃ロマンロード!?)を走りたいので」ということで
少し回り道。ここは66号線(長門湯谷線)です。
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「徒歩で下るしかないようですね」
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右へ回り込むように下ると社殿がありました。
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社殿正面の石段も参道のようですね。
下の集落から上がってくるとなると、かなり時間がかかりそうですが?
「たか」なので高い場所に鎮座しているのでしょうか。
 
66号線、356号線と下ってゆくと、突然視界が開けました!!
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さっきまでの曇天が嘘のようです。
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大浜海水浴場」。住所は油谷向津具上。
「向津具(むかつく)」とはかつて「向国(むかつくに)」や「向津(むかふつ)」などと
呼ばれた名残で、外国や外来のものと向き合う地を表すとされているようです。
 
そして長門市websiteには当地の「楊貴妃伝説」が掲載されていました。
天宝15年(756年)7月のこと。向津具半島の岬の西側にある唐渡口(とうどぐち)
流れ着いた舟の中に、気品のある美しい女人が身を横たへておられたさうな。
側の侍女が申すに「このお方は唐の玄宗皇帝の愛妃 楊貴妃と申される。
安禄山の反乱で処刑されるところを近衛隊長が密かに舟で逃れさせ、
ここまで流れ着きました」と涙ながらに云ふたさうな。
しかし息も絶え絶えな楊貴妃は里人たちの看護の甲斐なく息を引き取ったので
向津具半島の南 久津漁港に近い二尊院の境内にお墓を作ったそうです。
 
ただし私の妄想はここでは終わりません。
天照大神の荒御魂に撞賢木厳之御魂天疎向津(むかつ)媛命があり、
神戸市六甲山に六甲(むかつ)比命神社があるように、向津具半島にも
この(ある意味)日本最強とされた女神が祀られていたのではないか?
なぜなら、ここが外国と対峙する最前線だったから。
神仏習合においては大日如来と同一視されることが多かった向津媛ですが、
この地では渡来の楊貴妃と習合させられたのではないか?
 という気がしてなりません。世の社伝と同じく、証拠はありませんが。
 
そんな妄想より湯谷川尻の河内神社です。
行きつ戻りつしても、道がなく、まったく見当がつきません。
ナビがダメなので、直感に頼るほかなく、
坂を海とは逆方向に車で登れるところまで登り、
行きどまりで待機してもらって、海の方へ歩いてみることに。
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昔ながらの道なので車は入れません。勘が当たると良いのですが…。
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あの屋根が地図にある「浄念寺」だとすれば直進です。
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うわ~~、やっと海沿いに出られました!!
ここはクジラ漁で知られた港の一つで、境内に「捕鯨祖先創業200年記念」として
奉納された灯籠がありました。川尻の鯨組は1698年に組織されたそうです。
正面に港から上がれる階段がありましたが、下の道から路地に入らないと
見えないため、車で走っている時はわかりませんでした。
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(またしても社殿すら撮ってない!? 社殿裏の画像で失礼します)
再び人様の畑や私道を通らせて頂きつつ、タクシーが停まっている坂へ。
楊貴妃が流れ着いたり、鯨組が組織されたりした向津具半島へ来られてよかった!
 
あとは美祢まで休憩。と思っていたのですが、地図上で合祀社名(?)
藤森須賀神社(油谷蔵小田)を見つけたので立ち寄りました。
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拍子抜けするほど何の変哲もない神社でした。
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少し小高い場所にあり、石段を下りて左折したら近隣を散策していた運転手さんが
戻って来られ、「大変なものを見つけましたよ!」と仰るではありませんか?!
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坂を下った右手にあったのは安倍家墓所でした。
運転手さんは、お祖母さんの代からの支援者だそうで、喜んでおられました。
そうか、地元だったんですね。