「萩・石見空港」というので萩の近くかと思いきや、遠い遠い…。
しかも在来線の本数が極めて少なく、私にとって現実味があるのは1本だけ。
それにしても初めての萩、楽しみです(が、機内のお客様は少数…)。
羽田空港はかなり混んでいて、春休みだからかな? と思ったら
大きな荷物を預けるために列んでいたのは八割がた外国人。
その中でも一際あやしいのが私の楽器ケース!?
羽田空港でもフライト用ケースが無い場合があり、地方空港となると
何度かトラブルもあって、楽器を持っての旅は何かと大変です。
が、元気な時に動いておかないと、いつ動けなくなるかわかりません。
中学3年の担任だった先生がよくおっしゃっていました。
明日ありと 思ふ心のあだ桜 よはに嵐の吹かぬものかは
空港隣の蟠竜湖で桜を見ていたら、昔のことを思い出しました。
蟠竜湖(ばんりゅうこ)とは、砂丘で川が堰き止められてできた湖?
さて、中途半端な乗り継ぎ時間ですから遠くへは行けませんよね。
そこで空港から東へ約2kmの高津柿本神社へ。
ずっと興味を持っている「人丸」ですよ!
小野氏から分かれた柿本氏族として石見国小野郷の地で生まれたとされています。
生没地については諸説ありますが、ともかく柿本氏は小野氏と同じワニ氏なので
「人麻呂(麿)」=「人丸」(もっとも「人丸」の場合は広義のワニ氏の代名詞とも言えますが)。
松崎へ漂着したというのも不思議ですね…。
梅原先生の『水底の歌―柿本人麿論』(新潮文庫)を携えているものの
なかなか集中して読めません。
せっかく来たので少し散策してから益田駅へ向かいました。
着陸してから電車の発車時刻まで1時間弱しかなかったため
戸田柿本神社へはこの年8月に行きました。
萩では東萩駅から乗ったタクシーの運転手さんが素晴らしく、
予定外の場所で思わぬ収穫がありました!
先ずは、駅近くの白山神社へ。
車一台がやっと通れる道で、駐車スペースもありません。
ふつうの神社に見えますが…? 実に騒々しいのです。いったい何が?
加賀国一ノ宮からの勧請なら「しらやまひめ」ですが、「はくさん」とも
「しらやま」ともルビが振られていないので読み方がわかりません。
タクシーに乗ったら運転手さんに
「あのおばちゃんたちがゲートボールの練習してたでしょ?」と訊かれ納得。
台地を走り回って練習場所を探し、社名を尋ねればよかった…。
「次は金石山八幡宮へ」とお願いしたら御存知ありません。
慌てて住所を確認したら「萩市大字福井下」に鎮座しており、現在の
正式名称は福井八幡宮。それも御存知なかったので住所をナビに入れました。
とても風情のある神社ですが、由緒書きがありません。
私が調べたところ、真南の阿武川ダムができた時、幾つかの
神社の建物を移築したり合祀したりしたとのことでしたが?
参道に「猿田彦大神」が祀られているのは珍しくありませんが?
大きめの社殿2つのほか、境内社や石祠が点在しています。
ガラス戸の中に見えるのは「金石山」の文字ではありませんか!?
すると、この建物が元金峯神社の社殿だったのかもしれません。
どうしても調べたかったことが分からず、帰るに帰れないと悩んでいたら
運転手さんが「うちの八幡の宮司さんはいつもおられますよ」と
耳よりな情報を下さいました。
駅からはかなり遠ざかるのですが、ここは行くしかありません。
道路脇の椿を見ながら境内に入ると荒神社がありました。
そしてこちらが上野山八幡宮の社殿です。
そして、このあたりが高品質なタタラ製鉄の本場だったとわかったのです。
と教えて頂き、更に奥へと進むことに(福井から当社までの距離の3倍はありそう…!?)。
大板山たたら製鉄遺跡は、県内最大級のタタラ跡なのだそうです。
解説して下さった方が、偶然にも宮司さんの妹さんでした。
毎日いらしてるわけではないそうで、私も行く予定ではなかったわけですし、
有難くも不思議な御縁を感じました。
東萩駅へ向かっていたとき、奈古という駅名を見て
「タタラ製鉄だ!! この駅で降りたいなぁ…」と直感した通り、
斐伊川から海路で運んだ砂鉄を、奈古から馬で上の画像右奥まで運んでいたとか。
こうなると奥出雲探索は必須ですよね。「金屋子神」を探して歩きたい。
さぁ、当初の予定より倍以上長い距離を走って萩の中心街へ。
こちら広雲寺の枝垂れ桜!
住所が「萩市大字北古萩町」というくらいですから古いんでしょう。
なぜここを通ったかというと、一区画西に多越神社があったからです。
読めない字があると必ず足を運ぶ私です。
住所は「塩屋町」、発音は「たお」とありますが?
古語辞典に、越(をち)・越度(をつど)の例があるため、「たを」ですね。
おおお…梅鉢紋なら祭神は菅原道真でしょう。
ずいぶん御機嫌な牛さんですこと!!
明日はどんな風が吹いてくれることやら…?