藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

伊予国 高縄半島

伊予北条駅から予定より2時間遅い特急しほかぜに乗ってます。
運良く宇多津まで乗り換えなし!
タクシーの運転手さんも私のような客を乗せると大変です。
当初 4時間の予約だったのに、6時間走りっぱなしだったのですから。
(あ、運転手さんはお椀型の高縄半島を西から東まで横断して帰らなくてはなりませんね!?)
私の計画の甘さはもちろんですが、運転手さんも地元から山を幾つも越えて
知らない道を走っている上、間違えても引き返せないような場所ばかり。
最初はバックしてナビ通りのルートに戻っていましたが、
徐々に風まかせになってしまいました!?
 
本日の一社目は「朝倉」の姫宮神社
もちろん神楽歌《朝倉》を歌える場所を探したまでです。
九州の「朝倉」と同じく、伊予国にも斉明天皇中大兄皇子にまつわる伝承が
残っていることもゆくゆくは検証しなくてはなりませんが…。
 
しかし、ここへ到着するまでが大変でした。
舗装路とはいえ細すぎてタクシーは通れず、徒歩で探すことに。
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姫宮神社の場所を尋ねた方のお宅の裏を通らせて頂きました。
「朝倉の巨木17 ヤマモモ」があるようですよ。
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もう少し奥に「朝倉の巨木18 ヤブツバキ」もあるようです。
他に建物が無いので、この小屋(?!)姫宮神社
ふだんなら絶対に覗いたりしないのですけれど、扉のガラスに
開けられた穴にカメラを入れて撮ってみました。
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よし、ここが「朝倉」か…と合点し、
人気のない杜で《朝倉》を演奏してみました。
 
ここ今治市朝倉上から北上してゆくと、
朝倉下の樹之本古墳を過ぎた左手にため池(?)がありました。
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まわりこむと、地図上に荒神とあるこんもり(もしかして古墳?)が見えました。
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石段を登ると社殿がありましたが、扁額はありません。
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ただ「大」の字の社紋が気になりました。
単に「荒大明神」の「大」かもしれませんが。
この社地自体が古代の円形祭祀場のようで、
社殿の右手には御神体と思しき自然石が!?
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まるで大きな宇宙人のようですね!?
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振り向くと、反対側に越智神社。新しいようですが、どうなっていることやら?
「荒」や「鬼」は先住民を暗示しているため、越智氏が先住民の神と同居?
 
ここからは西へ走り、古谷にある多伎神社を目指します。
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ほう、「県社」ですか!? 奥の院はどこにあるのでしょう?
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社地があまりに広すぎて、どこが古墳なのやらわかりませんが、
ともかく八雲橋とやらを渡ってみます。
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境内社もたくさんありましたが、演奏修行する気にはなれません。
勝手に奥へ奥へと歩いてゆくと円墳らしきこんもりがたくさんありました。
積石塚なら宇多津の聖通寺山古墳、善通寺大麻山の野田院古墳と同じです。
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右手からさっき渡った川のせせらぎが聞こえます。
今日の舞台はここと決め、《さざなみ》を演らせていただきました。
 
かなり後ろ髪を引かれつつ多伎神社から北上して鹿ノ子池へ。
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池へは徒歩でないと行かれないとのことで、北端の駐車場に停車し、
徒歩で鹿児神社を目指しました。
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社殿前に立って振り向くと鹿ノ子池…
のはずですが、木々が生い茂っていて見えません。
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先が長いので、池を見るためにだけ階段を下りて上がる時間はありません。
またの機会に…ということで、次の大己貴神を目指しました。
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畑の中に唐突に鎮座。社叢もありません。
遷座していたことはわかっていましたが、通り道だったので。
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内部を見ると、社殿をそのまま移築したようにも感じました。
ここからは北西へ進みます。
 
地図に鉾神社があったので探しましたが、見つかりません。
ナビはここだと言いますが、社名が違います。
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とりあえず上がってみますか…。
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おおお梅鉢紋!! まさしく天満宮ですね。
「御鉾」という物部系神社は消えていました。
 
次の延喜式内社野間神社はどうでしょうか?
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ゲゲッ、これは大三島三島大明神(=大山祇神)の「隅切三文字紋」ではありませんか!?
天平神護2年(766)従五位下を授かり神戸二烟を充てられたのち累進を重ね、
天慶2年(939)に正二位を授けられた」名神大社なんて由緒、意味あります?
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今治市神宮(かんのみや)という地名なのに、そんな雰囲気はありません。
 
主祭神=飽速玉命、若弥尾命、須佐之男命、野間姫命とありますが、
(あき)速玉命は広島県廿日市市安芸国二ノ宮速谷神社の祭神で、阿岐国造の祖。
若弥尾命はその三世の孫で、ここ怒麻(のちの野間)国造の祖。
野間姫命は若弥尾命の妻とされているそうです。
けれど、今は 三島大明神の「隅切三文字紋」を冠されているわけですね…。
 
さて、ここからはイオンモール詣でに列をなす車に遮られつつ玉川湖まで上り、
さらに北西に走って菊間町河之内の素鵞神社へ寄り道します。
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これは珍しい!! 初めて見ました「六菊紋」、だから地名が菊間なんですね。
菊間は河之内より開けたという伝承があり、弥生時代の遺跡が多いそうです。
それに何となく物部地名のような気がしたので…。
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この階段が参道のようです。私は新しくできた道路の脇から
古墳のようなこんもりを上って社殿の横へ来てしまいました。
 
瀬戸内の島々も、伊予国北部も三島大明神の勢力下に入ってしまったか…と
残念に思っていたら、河之内素鵞神社は菊間発祥の地として存在してました。
 
再び玉川湖まで戻り、317号線をひたすら南下していますと、
高縄半島に多い河内神社が右手にありました。
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うわっ、ここも三島大明神の「隅切三文字紋」ですよ…。
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古くからの街道沿いにあったのがいけなかったのでしょうか?
この先、少し南下したら九川口バス停から湯山高縄北条線へと右折し、伊予北条へ。
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石手川でしょうか? それとも石手川へ注ぐ支流?
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道幅がかなり狭い湯山高縄北条線へ入ったら、道路脇に河内明神社が。
左手は恐らく石手川の支流で、極めて幅の狭い縦長の社地でした。
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社地が狭く、社殿も小さい河内明神社の神紋はわかりませんでした。
 
あとは湯山高縄北条線を道なりにクネクネと伊予北条へ向かうのみです。
運転手さんに地図をお見せしたら「分かりました、ナビ無しで行けます」と
仰ったのでナビを開始せず安心して地図を見ながら道標を撮りました。
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いま見てもどこをどう指しているのかわかりませんが?
ともかく山の中へ迷い込んで引き返せなくなってしまったのです!?
方向転換するスペースがないままドンドン登って行く運転手さんに
「山頂まで登っちゃいましょうか」と伝え、標高986mの高縄山山頂へ。
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風がすごく強くて、譜面が飛びそうでしたが…。
神社があるとは思っていなかった上、手前には真言宗高縄寺もありました。
登る途中、ダイナミックな岩盤の露出に目を奪われたので検索したら、
遊歩道で採取した鉱物が、2012年に国際鉱物学連合に新鉱物と認められ、
タカナワアイト(高縄石)命名されたとありました。
 
褐色の板状または放射状の結晶で大きさは数ミリから1センチ。
松山市北部の高縄山花崗岩から発見され、
3月に国際鉱物学連合から新鉱物と認定されました。
 
頂上から下りて伊予北条へ向かう道には日本古来の本殿の無い神社がありました。
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サービス精神旺盛な運転手さんで、頼まなくても
さまざまな角度から撮影して下さっていました。
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ほんとに道端にポツンと四阿があったんですねぇ…。お遍路さんも休めますし。
地図上、高縄半島には素鵞社が多く見られました。
 
麓までおりて立派な社殿を見たら気が引けて、とても演奏できませんでした。
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この國津比古命神社には「真名井の井戸」もありました。
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上は本日最終の伊予北条駅に近いの神社で、お昼に下りた駅は伊予三芳でした。
 
まだ600社ほどしか訪問していませんが、創建当初から現在まで
祭神が変わっていない神社の方が少ないのかも? と感じました。