藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

人丸と金峰

 
水薦苅 信濃乃真弓 吾引者 宇真人作備而 不欲常将言可聞  (禅師)
 
三薦苅 信濃乃真弓 不引為而 強作留行事乎 知跡言莫君二  (郎女)
 
万葉集』96・97歌の枕詞「み薦(こも)刈る」は「み篶(すず)刈る」の誤りとされ
「みすずかる」と詠まれてきました。
「篶」とは、薦、芦、茅のような禾本科植物のことで、
その根元に褐鉄鉱の塊ができるため「スズ」と呼ばれたそうです。
褐鉄鉱の塊は水中に生息する鉄バクテリアの働きによって生成し、
多く侵食によって中空となった内部に鉄玉が残るため、振ると音がします。
古代はこれを振り鳴らして神降ろしなどの神事を行なっていたと考えられています。
これが現在、巫女の神舞いに使う「鈴」の原型で名前の由来ともなったのでしょう。
 
こちらは8月11日に宇倍神社で頂いた巨大な土鈴「干支神楽」です。
まさしく中に玉が入った「スズ」で、
今年還暦を迎えた私には最高の記念品となりました。
イメージ 9
古代の露天たたら製鉄跡は風のよく通る山あいの川や沢にあることが多く、
そこで「スズ」を刈り取って何日も薪を燃やし続け、
精製、鍛造して鉄器を造ったといいます。
たたら職人は全国各地で活躍していましたが、
彼らが鉱物を求めて移動すれば神社も移動します。
本日再訪する石見の国のたたら職人は、古来
益田市柿本神社の祭神 柿本人丸大明神を信奉していました。
それゆえ、たたら製鉄跡の近くには「人丸社」が多く見られるわけです。
前回3月29日には萩石見空港から益田の高津柿本神社へ行ったため、
本日は柿本人麻呂生誕の地と伝わる戸田柿本神社へ。
イメージ 1
そこから2kmほど海岸まで走って、衣毘須神社
イメージ 2
海人族の大好きな「近の島」です。満潮時は渡れないので今日はラッキーでした。
石見の海はとてもきれいです。
イメージ 4
ここから海沿いを走って前回行った萩を通り越し、手水川の奥にある金峯神社へ。
イメージ 3
さほど標高が高くないのに、吉野の金峯神社に似た空気が漂っていました。
由緒書に「大同元年(806)大和国吉野郡金峰山より長門守護職信濃四郎左衛門尉が
勧請したと伝えられる」とあります。
 
次に目指したのは726年勧請とされる周南市金峰神社(高速を使っても遠かった…!)
イメージ 5
きつい階段に続いて山道を登り、最後にまた階段…!
イメージ 6
想像以上に広い境内。恐らく左の境内社が「人丸社」かと…?
イメージ 7
戦時中には金峰鉱山としてニッケルを採掘していたそうです。
 
最後が式内二俣神社。すでに19時を過ぎてしまったので行けないと諦めていたら、
萩近鉄タクシーのIさんが最短距離を走って案内して下さいました。
これでは真面目に演奏修行しないわけにはまいりません。
イメージ 8
第13代成務天皇59年、二俣山に創祀されたとも、東方の金峰山に鎮座したとも
伝わりますが、両者は同じ山を指すとの考えもあるそうです。
 
さて、我々は山口泊。Iさんは萩まで帰らなくてはなりません。
またしても御迷惑をおかけしてしまいました。ごめんなさい!