5月27日のことだったでしょうか。
やむなく新幹線で金沢へ行ったため、能登半島をまわるプランはおじゃん…!
当然お詫びも補償もないため自費で再訪することにしました。
今日は最初から新幹線です。
今日明日と雨だとわかっていましたが、
日焼け止めを塗るのが嫌なので、むしろ歓迎です。
演奏修行できない可能性が高いとはいえ、
今回は「ヒミ」または「ヒミコ」について考える旅なので。
日本語の場合、漢字は当て字として使われてきた歴史があるため、
何よりも発音が重視されます。
現在の漢字表記にとらわれていては重大なヒントを見落としかねません。
古来、太陽神信仰をもつとされる我が民族は、神名を
「日子(彦)」「日女(姫・媛)」などと表記してきました。
すると「日見(氷見)」は「ヒメ・ヒミ」の語尾変化の可能性が?!
この疑問を、5月に行きそびれて、すっかり忘れていました。
與止日女神社で思い出したのです。
「氷見」という地名については諸説あります。
1.敵の動きや狼煙を監視する火見だったが火災を忌み氷見とした。
2.立山連峰から昇る朝日が見えることから日見。
3.立山連峰の万年雪が見えることから氷見。
4.富山湾の漁火が見えることから火見。
5.海が干上がって陸地になったこと(海退)から干海。
富山県西部に「日宮」の名をもつ神社が多いことから、私は2を支持。
それゆえ、実際に「日宮神社」から立山連峰が見えるかどうかを確認してきます。
机上の空論はあきまへん。
「ヒミコ」に関しては、
「タマヨリヒメ」が個人名ではなく魂の依り憑く女性を指すことが多いように、
日(太陽光)のエネルギーを受け取れる人の代名詞?とのイメージも持っています。
要は武内宿禰のように何人も居たとの考え方です。
「村おこし」「町おこし」にならない意見ですみません。
そうこうしているうちに雨晴海岸が見えてきました。雨です。
立山連峰はどこ? 電車の中にはこんな写真があったのに!?
今日は氷見の日宮神社を3社と大伴家持に関わる神社数社をまわる予定でしたが、
駅で突然行き先を変更し、上の5(海退)の現場を見ることにしました。
約7,000年前の縄文海進で現在の5m上まで海に沈み海蝕された洞窟とのことです。
そして大正7年、洞窟内の白山社改築工事の際に人骨や土器が出て
しかし、海を見た私は洞窟どころではありません。
一目散に堤防に上がりましたが雨が降っています。
そこで手前の建物の下で調弦していたら雨が上がりました!!
「運転手さん、私が楽器を持って上がったら写真を2.3枚撮って下さい。
その後は先に車に戻って頂いて大丈夫ですから」とお願いしました。
しかし、こんな、楽器を運んだ瞬間とか撮ります?
能登半島では前回もお尻を向けた写真を撮られましたよね…。
この時だけ見えたんですよ、立山連峰!
演奏中はずっと見えていました。
明日も1日雨(90%)の予報なので、かすかにでも見えて良かったです。
ここ大境洞窟住居跡からホテルへ向かう途中にあった神社にも立ち寄りましたが、
道端の小さな祠を含め、ほとんどの社殿が立山連峰から昇る朝日を仰ぐ形でした。
すると氷見は、やはり2の「日見」説が濃厚?
宇波(ウナミ)神社。
菊理姫像石(カタイシ)神社。
向いていると思ったら元々白山社があった所に遷座してきたのだとか。