美濃国再訪のため、のぞみに乗ってます。
目的地は高山なのですが、美濃国も行ってない場所ばかりなので立ち寄ることに。
地層のことで気になる場所があり、調べたら、平成15年に
谷川健一先生が調査に行っておられました。
と同時に、近くに神社を創建したりしているようです。
空海が創建したと伝わる神社は数社まわっていますが、この地は寺と神社の
両方が現存しており、神仏集合のヒントなりとも得られればと期待しています。
名古屋から大垣駅へ移動し、タクシーで明星輪寺へ行く手前に
平将門を祭神とする御首神社がありました。なぜここに御首が?!
関東へ飛んで帰った説のほか、数ヶ所に関東へ帰る途中に落ちた説があるとか。
いずれも、討ち取られた将門の首が京に運ばれて晒し首となった際、
何ヶ月経っても朽ち果てるどころか、もう一戦なりとも交えむとの勢いで
罵り続けていたが、ある時、胴体を求めて東に向かうべく、
首が宙高く舞い上がって京を去ったという話から始まっています。
ここ荒尾の御首神社の伝承によれば、
祈願したところ、同社に座す隼人神が弓を構えて
東へ向かって飛んで行く首を矢で射止め、落ちた場所だというのです。
将門の御霊が関東へ帰らないよう祀ったのが御首神社の始まりだとか。
ちょっと社名が怖かったのですが、坂東市の国王神社へ行った御縁で
立ち寄らせていただきました。
なるべく人が写らないように撮りましたが、大勢の人でした。
社殿に向かって左の禁足地らしい森に古墳のようなこんもりがありました。
まさか、これが首塚?
首から上の病気に効くと言われ、遠くから来られる方もおられるとか。
大丈夫ですか日本人?!
この先、車が行き違いできないような細い坂道を登ってゆきました。
明星輪寺のオフィシャルサイトでは車で寺まで上がれるとのことですが。
運良く対向車に出合わず登れたので、石を見に行くことに。
ところが、案内図も標識もないため間違えてこんな場所へ!?
右手に山の残骸が?! これも無くなる運命なのでしょうね…。
ちょっと待って!? 谷川健一先生がこんな場所まで来ちゃったの~(脱力…)?
伊吹山地の南東端に位置し、御首神社の真北3kmにあります。
その御首神社の創建に、南宮大社にかかわる逸話(同社に座す隼人神が弓を構えて
将門の首を射た)が使われていたことがひっかかりました。
もしかすると、これは伊吹山南東端の勢力が朝廷軍に平らげられたことの暗示?
との妄想にとらわれそうになりました。
それで道に迷い、石灰岩の採掘跡の方へ行ってしまったのでしょう。
来た道を戻って左折すると鳥居と祠が見えてきました。右下が明星輪寺です。
ここは山頂に近い場所にあります。
採掘場の見える断崖絶壁のすぐ手前に↓雅な五三桐紋の三角点!!
さあ、ここのみ残った金生山(標高217.1m)の山歩きです。
静かな空間…。人の気配はありません。
巨大な石がゴロゴロありましたが、これが空海の守りたかった場所でしょうか?
明星輪寺が無ければ、金生山はとうの昔にきれいサッパリ消されていたはず。
明星輪寺のサイトより
周辺の山々総てが完全に異質の地層で成り立っている。
その真真ん中にただ一つ石灰の魂をどこからか持ってきて置いた様な山である。
金生山の岩石を多数の色彩に染め上げ、それ等を全く異なった柄模様に造成しながら無数の岩石群を形成した他に類のない山である。
細分化すれば数百種にも及ぶ古世代二畳期の水中生物を中心とした化石群の群生地で、我が国地質学・古生物学会発祥の地と呼ばれ、同時代のものとしては世界の学会でも貴重な存在となっている。
このため、周辺には石灰岩の採掘・加工業者が軒を並べています。
地図にあった神社は小さな祠だけになっているものもありました。
もしかして、この国ではお金が神なのかな?
と減らず口を叩きながら「赤坂宿」から神戸(ゴード)町の勝手神社へ。
変な格好ですみません、キティちゃんの陣羽織を買っちゃいました~!!
今日はあまりに暑く、コートを着ていられなかったのです。
え?! これだけ?! …広大な鎮守の杜は隣の寺のものとして区切られていました。
式内社でこの有り様ですから、他は推して知るべし…。
今日18日の一社目と最後が子守神社でした。
神戸から40分もかかっちゃったんですよ…、山県市佐賀。
当社は岐阜駅の方を向いていました。いや金華山の方と言うべきか?
ここで17時のチャイム。
もう真っ暗で何処へも行けないため岐阜駅で時間を潰しました。
特急ワイドビュー飛騨は電車ではなく汽車!? 線路が悪いのか凄く揺れます。
気持ち悪くなりながら、高山着。