藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

雨引観音&加波山

こんにちは。寒いです。
が、先日気になった加波山を探しに行ってきます。
危ない場所へは行かないようにと念を押す家人に行き先を告げたら
「え?! あの加波山事件の?」と訊かれました。
あまり興味はありませんが、「うん、お勉強」と答えて家を出ました。
お正月はさすがに人出が多くて演奏できないと思うので年内ラストチャンス!?
年明けは1/5から。では行ってまいりま~す!
 
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この道はいつか来た道♪ ええ、何度も来ました筑波山
最初は一回でたくさん…と思ったのに、次々と興味が湧いて。
つくば市から筑波山を望むとホテル街など人工建造物が目につきますが、
つくば市を通り過ぎて桜川市から見ると自然の山という感じがして好きです。
 
さて、まさか目指すはアレ?! ではありませんよね?
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つくば市に入ると「雨引観音」の広告が目についたので、加波山の前に行くことに。
うわっ!? 「雨引観音」の看板通りに走っていたら神社がありました。
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今これだけの参道と社叢をもつ神社は珍しいでしょう(↑こちらニノ鳥居)。
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いや社叢だけじゃなく奥都城まで!? これぞ"祖神を祀る"神社本来の姿です。
因幡国一ノ宮たる宇倍神社にも伊福部氏の奥都城がございます。
こちら↓雨引千勝神社の由緒書。
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楠木氏の菊水の紋を探しましたが、見つけられませんでした。
明治6年(1873)に現「雨引千勝神社」に、それ以前は「千勝大明神」だそうです。
「鹿島より勧請」とあるのに祭神が「猿田彦」なのが謎…。
武甕槌神(建御雷神)を祭神とする「鹿島神宮」ではなく「鹿島の神社」なのかな?
 
バイクでどんどん山を登ると、やっぱりさっき撮ったあの建造物でした。
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ちょっと待って。かつては神仏習合だったとして、今ここは寺院なんですよね?
慌てて iPad で「雨引観音」を検索。正式名「雨引山楽法寺」のHPによれば、
  ●用明天皇2年(587)、梁の国人 法輪独守居士によって開山。
  ●推古天皇(554-628)が観世音菩薩に病気平癒を祈り、勅願寺とした。
  ●天平年中(730)、聖武天皇ならびに光明皇后が安産祈願の勅願寺とした。
  ●弘仁12年(821)夏の大旱魃の際、嵯峨天皇が降雨を祈らせ「雨引山」と定めた。
 
嵯峨天皇なら空海に勅命が下されたはずですが、どこにも空海の字はありません。
桜川市のHPを探したら、こう書かれていました。
  ●中国から帰化した法輪独守居士が587年に開山したと伝えられる古刹。
  ●聖武天皇光明皇后の帰依が厚く、その後、弘法大師によって真言宗の道場に。
 
楽法寺が「弘法大師」の字を載せないってことは真言宗じゃなくなったのかな?
もうほとんど何をしに来たのかわからなくなっています。
加波山空海の関係を知りたかったのに「雨引観音」に来ちゃって、
道にも迷ってしまいました。バイクで急坂を登ると、クジャクが!?
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もしや、邪気を祓う「孔雀明王」? こちらは↓ギンケイ
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さらに右奥へ進むと…「延命水」。
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この右手に登り口があって「開山堂」があると書かれています。
ここまで来たら行くしかありませんよね。
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え、これ? と思ったら、後ろ向きでした。小さな祠の前は断崖絶壁!?
で、下からor「雨引観音」からここを通して雨引山を仰ぐ感じ?
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こんな道を通るんですよ。V字路にある階段には↓竹の手すりまでついてました!
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階段を左側に下りずに直進すると山頂に行けそうでしたが、道標ナシ。
 
思いがけず(結果的に)たのしかった「雨引観音」から、来た道を引き返します。
加波山入り口」の看板から舗装された山道に入りますと、右手に↓
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こちらが「加波山神社 里宮」で、恐らく鳥居前に立つと加波山を仰ぐ感じ?
この先左手に「加波山普明神社」がありました。
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「一合目」と書いてありますね。このすぐ上が話題の「加波山神社」でした。
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おおお…噂通りの派手さ!! この2社が並んでいるギャップが凄い。
2社ともに加波山を左に見て筑波山に対峙しています。
しかも帰宅後に検索したら、どちらも新興宗教の施設でした。
調べたきっかけが、この先「二合目」にある「加波根不動明王」の石碑でした。
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「箱根大天狗山開祖 武田敏男」と刻まれています。
箱根町須雲川に箱根大天狗山神社のほか天聖稲荷大権現神社浄土金剛宗天聖院。
そしてWikipediaによれば、加波山加波山神社(中宮)、加波山普明神社、
たばこ神社、加波山不動(寝不動尊)、天狗の庭があるそうです。
 
なぁんだ…ここにも「空海」の文字はありませんでした。
かつてのオセロゲームは、たとえば戸隠山に向かう奥社参道左手が真言宗
右手が天台宗のテリトリーで500年以上ものあいだ覇を競うといったものでしたが、
現在では四国八十八ヶ所の札所の住職が韓国人になるなど国際的になっています。
戸隠山の勝負に決着をつけたのは幕府支配による寺院統制を義務付けた徳川家康で、
戸隠山法度」を定められて戸隠一山は天台宗が取り仕切ることになったとか。
 
今は、再建する者も無い村の鎮守が人知れず朽ち果ててゆくか、
新しい宗教施設として生まれ変わってゆくか…という時代なんですね。
 
筑波山を左に見ながら加波山二合目を下っていたら富士山が見えました。
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肉眼ではよく見えたのですが、撮影者の腕が悪く、拡大しても判らないかなぁ…。