藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

常陸国~陸奥国

ただいま東北新幹線で帰宅中。
水郡線常陸大子まで行き、タクシーで5時間走って新白河から乗車。
地図上で国道の脇に位置する神社へ行こうとしてグルグル回ったため、
3社は時間切れとなってしまいました…。
しかも、やっと教えて貰った入り口に辿り着いたら影も形もなく、
ちょうど開店前の料亭があったので尋ねると、
「ここからは見えないね~あのトンネルの上の頂上あたりだけど
歩いたら大変な距離だよ。道も狭いし…」と言われました。
そういう人里離れた場所にある古社へこそ行きたいわけですが…
平面の地図では高低差がわからなかったため今回は断念。
 
今日の旅は「左貫」から始まりました。
サヌキ」という地名は「銅鐸=サナキ」を想起させます。
私の故郷「讃岐」は銅鐸の出土地として有名です。
昔も今も資源や産業のない場所に人は集まりません。
人の居ない場所に神社は出来ません。
古代には、鉄・銅・丹生・石灰岩・黒曜石・翡翠…等々
資源のある場所が栄えていたことを確認するための旅です。
今となっては、不便な山奥の一言で括られてしまう場所。
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そこにこのように調えられた神社がありました。花室神社、読み方はわかりません。
 
さらに山を越えて近津三社へ行く途中にも古社がありました。
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まだまだ上がる。
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頑張りました!
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不便と言っていい場所にあるのに、きれいにされてますね~。
 
さあ、近津神社はどうでしょうか? 最も奥の上野宮から行きました。
出雲の神社のような門がありますね。
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おおお~さすがは徳川家!!
しかし近津神社の創建が707年だとしたら、徳川家とは無関係ですよね?
水戸黄門の一人 徳川光圀(1628-1701)が一郷一社の制を定め、
"淫祠"と判定した3,000以上の神社を整理した際、
近津神社を「正しき由緒ある神」と判断したということでしょう。
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紋所が目に入ったところで、近津神社二社目。
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↓三社目は随神門でした。
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こちらは陸奥一宮、奥州一宮と並ぶ近津三社下野宮です。
上記二社が一宮たる都都古別神社の元になったとの説を確認するために
足を運んだようなものですが、八槻・馬場とも素通りでした。
それよりも行きたい場所があったからです。
 
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ド迫力です、この投入堂!?
空海開基の山本不動尊!!
勅命により湯殿山を開くため出羽国へ向かう途中に護摩壇を築いたのだとか…
先日、加波山で落胆した分を挽回して余りある空間でした。
修験者が禊ぎをしたであろう水場もありました。
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大満足で新白河駅に向かう道すがら、馬場都都古別神社の元宮があるという
武鉾山へも立ち寄りましたが、17時近かったので、この暗さ…。
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都都古和気神社の社殿に至る前に諦めて下りました。
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次回は山頂のストーンサークルを見られる時間帯に参ります。
 
では、明日は歯科治療なので、また常陸の国をまわります。
まだ行き先を決めていませんが…(水戸に一泊できたら効率がよかったのに!?)