藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

志摩国

おはようございます!
普段なら未だ起きている時間帯に電車に乗ってます。
今日は二度も船に乗る予定なので、お天気が良くて最高です。
 
昨夕『鳥羽志摩新誌』(中岡志州編/1970)が届きました。
充実した内容で持参したかったのですけれど、合計20kgほどのリュックを
身体の前後に掛けて(前代未聞の醜態!?)歩かねばならないため諦めました。
ただ付録の地図のみ、全地名にルビがふられていたのでコピーして持参。
これで恥を最小限に抑えられます。
 
とは申せ、現代かなづかいの施行で、表記と従来の響きがかけ離れた地名も
あるのではないかと案じています。だから地元の方の発音を聞きたいのです。
 
珂夫賀神社という社名を見つけたら「かふか」と読み「甲賀」だなと思います。
そして住所を調べると「阿児町甲賀」です。
すると、「甲賀」は「伊勢部」の仲間なのかと興味が湧くわけです。
こうして私の好奇心は膨らみ続け、眠れなくなります。
 
「阿児」とくれば「あこや貝」!! 志摩と言えば真珠の養殖で知られています。
ですが、「阿古屋」は現在の愛知県阿久比町の古い地名なのだそうです。
そこで採れた真珠を「阿古屋珠」と呼んだことから、一般に
真珠を「阿古屋」と呼ぶようになったのだとか。
では英虞(あご)湾も「阿古」の転訛というか、人や技術が流入したのでしょうか。
 
名古屋で近鉄特急に乗り換えました。混んでます。
窓口で窓側の席は無いと言われましたが、運良く一人掛の席が残っていました。
 
賢島着! 船に乗りました。ガラス越しですが、英虞湾内は雲が多いものの晴れ!!
イメージ 1
御座(ござ)が見えるまではずっと四方を山に囲まれていて不思議な感じでした。
画像左手に見える三角の山が外海への出口に位置する御座の目印です。
現在は金比羅権現を祀っているため金比羅山と呼ばれていますが、それ以前は
麓に空海開基と伝わる爪切不動尊がある聖なる山「聖が岳」と呼ばれていました。
100mほどの低い山ですが、串本の重畳山(かさねやま)と同じく、
いかにも空海が山アテに用いそうな目立つ形をしています。
 
突端大好き人間の私ですから行かないわけにはまいりませんが、
御座へ行く定期船の本数が少なく、賢島13:35発に乗っても賢島へ戻れません。
それで当初は2kmほど離れた対岸の↓浜島に泊まろうと宿を予約しました。
その後、2泊できることになったので、御座へタクシーを呼ぶことに。
 
船の乗客は私一人で申し訳ない限り…。
イメージ 2
あれ? 御座の港に入ると先端に鳥居が!?
すると、この左手の丘に御座神社があるわけですね。
しかし地図を見ても登り口がわかりません。歩き回ってやっと鳥居を見つけました。
たぶん海の鳥居と社殿と鳥居が一直線になっているのではないかと…。
イメージ 3
今日は階段、階段…でした。海岸沿いの隆起海蝕台地に建てられているため。
イメージ 4
いや、しかし、この社殿は…?!
社叢は私好みの極相林!!
イメージ 5
 
志摩半島最南端の先島半島西端の御座から爪切不動尊経由で、東端の大王崎へ。
イメージ 13
入江の奥の階段を登ってゆきます。
イメージ 6
うわあ~!! 海を見たい一心で波切(なきり)神社を素通りして太平洋側へ。
もう何をしに来たのか忘れています。地図に崎山公園とありました。広々~
イメージ 7
後ろ髪をひかれつつ来た道を戻ります。
イメージ 10
木のトンネルをたくさんくぐりました。
そして波切神社の鳥居をくぐると…
イメージ 8
ああ、そうでした。波切では昔クジラ漁が盛んで、捕獲したクジラのお腹から
石が出ることがあり、神社に持ち込まれた石をお祀りしているとのこと。
イメージ 9
そしてダンダラ法師(ダイダラボッチ)!!
どんなつもりで「わらじ祭り」なるものを行なっているのでしょう?
 
ここから鵜方駅に向かって北上します。どうしても行きたかった天之真名井神社
なんでも、出雲の熊野大社と松江の真名井神社の組み合わせと同じと考える人が
あるようで、それを言うなら松江の揖屋神社真名井神社では? と感じました。
イメージ 11
こちらも階段の上にありまして、下りて海辺に立つと富士山が見えるはず…?
イメージ 12
あれ? どこに?