藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

遠賀川

今日は遠賀川沿いに源流のある馬見山から河口まで走りました。
しかし、川の画像を撮っていなかったことに今、気づきました…。
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慌てて水巻駅から北へ向かう河口近くの道を走りながら撮った一枚ですが、
かつては遠賀川駅周辺も、筑豊本線の幾つかの駅周辺も遠賀川の中でした。
 
その源流のある馬見山へ行こうと、二日市から「原田(はるだ)」駅へ行き、
原田線で終点の「桂川(けいせん)」駅へ。駅名は、まったく読めませんでした。
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さびしいゼロ番線ホームです。乗り換えが遠かった…。
 
桂川」からはタクシー5時間の予約です。
先ずは遠賀川源流のある馬見山鎮座の馬見神社へ。
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一社目から物凄い階段です。やっと登り切ったと思ったら右手にまた階段が!!
そして更に左の階段を上がったら拝殿がありました。一大要塞です。
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本殿の奥に橋らしきものがあり、その奥に広場みたいなものが
見えたので、そこに磐座などがあったのかもしれません。
 
馬見山は、何となく馬の背のような形に見えました。
その馬見山を遥拝する神社の一つが牛隈の荒穂神社だというので行ってみました。
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またしても階段です。が、階段の上からは樹木で馬見山は見えませんでした。
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いったい何故、馬見山を遥拝しているのかと考えていたら、
「馬見物部」という言葉が出てきました。
遠賀川といえば古代鉄、そして馬見の縄文遺跡からはサヌカイト製の
凸基式有茎石鏃が出土しており、まさに物部の本拠地の一つと言えそうです。
 
遠賀川を更に北上し、かつての鯰田(なまずた)炭鉱跡地へも行きましたが、
それを伝える物は見つかりませんでした。
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  麻生太吉明治13年11月に鯰田村の3,500余坪を所有したのが鯰田炭鉱の始まり。
  明治22年4月に三菱が買収し、昭和41年3月に坑内採掘を終了。
  以後、露天掘りで操業していたが、昭和44年9月に三菱高島炭鉱株式会社に譲渡。
  昭和45年6月19日、三菱高島炭鉱社、鯰田炭鉱を閉山。(『三菱鉱業社史』より)
 
その「鯰田」の東に「佐與」という地名があったので行ってみました。
先日の「松浦(まつら)佐與(さよ)姫」からの連想です。社名は天降八所神社
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階段を上り、幾つもの鳥居を経て右手を見ると瀟洒な社殿がありました。
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高低差のある広大な社地には瓢箪みたいに二つに分かれた池もあり、
古代の神社に求められる要件を全て満たしているかのようでした。
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遠賀川沿いにこれほど素晴らしい神社が幾つもあるということは
古代から栄えていた地域であるとの証明に他なりません。
 
7月20日に行った別子銅山龍河神社も立派でした。
やはり貴重な資源に人が集まって栄えていったということでしょう。