藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

基山・天拝山

昨日は東郷駅から鹿児島本線基山駅へ移動する間にブログをupした後、
タクシーで基山へ登り、二日市温泉の宿に荷物を預けて天拝山へ登りました。
途中で水を持っていないことに気づきましたが、買う場所などあるはずもなく
気温36-7℃の中を約2時間歩いたら危うく熱中症になりそうでした。
 
基山山頂の草スキー場は風が爽やかで最高でした!
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これが665年に天智天皇が築いた基肄城の土塁跡です。
(左)を見るとこんな感じ。天拝山も見えているのでしょうか?
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先日、大野城の周囲を走り、大宰府の守護として築かれたことを実感できました。
では、さほど離れていない場所に基肄城を築いたのは何故か?
直感だけで言うなら、朝倉宮(実在したとすれば)を守るためでしょう。
いやしかし、素直に『続日本紀』の
大宰府をして大野、基肄(きい)、鞠智(くくち)の三城を繕治(ぜんち)せしむ」
をとるべきでしょうね。
 
古来、ここ基肄山(基山)山頂では玉々(タマタマ)石を神籬とする磐座祭祀が
行なわれていたと考えられているそうです。
その後、基肄国造物部金連の後裔金村臣によって山頂に社殿が築かれ、
戦国の兵火にかかって転々としたのち、貞享2年(1685)
山麓に近い現在地に社殿が造営されたと社伝にあります。
現在の荒穂神社です。
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貞享元年(1684)の「荒穂神社縁起」には、
中央に荒穂大明神、左一に下鴨大神、左二に八幡大神
右一に宝満大神、右二に春日大明神、右三に住吉大明神の六社とありますが、
境内を歩くと、この地には元々他の祭祀があったらしいことがわかります。
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同名の荒穂神社が真北の天拝山中腹にもあったので行ってみることにしました。
 
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実は「え?! 天拝山?」と一瞬ひるみましたが…大宰府に左遷させられた後、
身の潔白を訴えて登り続けた菅原道真の足跡を辿るのもよいのではないかと…。
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天拝山山頂への道は、夕陽が差し込む場所が少なく、薄暗いイメージでした。
六合目あたりに荒穂神社があるとのことでしたが、この山には標識というものが
ほとんど無く、左折と書かれていなかったので直進したら、唐突に
「ダム関係者以外は入場できません」との看板があり、引き返していたら
女子中学生が2人で歩いてきたので声をかけて左折ポイントに戻りました。
ここで水を持っていないことに気づきました。が、今さら戻れません。
 
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神社らしきものが見えました!
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あ、ネコちゃんだ!!
それにしても、拝殿の後ろの巨石がド迫力です。
こわごわ左手の階段を上がると
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こちらも基肄城のあった基山山頂と同じく磐座祭祀が行われていたようです。
ここから見えた山はどこだったのでしょう?
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豊満山っぽくもあり、頂上まで上がればこの左手に大野城が見えるのでは?と
思いましたが、演奏が終わった時点で18:50。
2時間以上水分を取っていなかったので、下りることにしました。
取り敢えず、大野城基肄城豊満山とも、山頂で狼煙を上げたら見え、
最短での連絡が可能な位置にあったことのみを確認。
 
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ネコちゃんは演奏前も演奏後も同じ場所に居たので、
じっと聴いてくれていたのではないかと…?