藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

松阪

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おはようございます! おかげさまで青空が見えています。
午前中は大阿坂・小阿坂から始まりました。
松阪駅から2,30分かかり、こののち真反対の方角を目指して山に登り、
最終的には9/10に降り立った多気駅から南紀3号に乗ります。
 
阿射加神社へ行かなくてはならないと思ったのは郡山へ行った折でした。
阿邪訶根神社(郡山市大町)を調べていたら
「式内名神大社阿射加神社(松阪市大阿坂町)より1060年に勧請」
と書かれていたのです。
そうか、安積は阿射加からきていたのか…。
 
という次第で、先ずは小阿坂。
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正面が本殿。
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右手に外宮祀官度会氏の祖 大若子命(おほわくごのみこと)が祀られていました。
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当社に大若子命が祀られた経緯については、『倭姫命世記』に
「阿佐加之弥子(阿坂の峰)」に居て人々の通行の邪魔をする
伊豆速布留神(いつはやふるのかみ)を懐柔するため山上に神社を造営し、
外宮祀官度会氏の祖である大若子命に祈らせた、とあるそうです。
同様の話は『皇太神宮儀式帳』にもあり、
倭姫命が藤方片樋宮において天照大神を奉斎していた時、垂仁天皇の使者たる
阿倍大稲彦命(あへのおほしねひこのみこと)が阿佐鹿悪神(あさかのあらぶるかみ)
平定したとあるそうです。
 
阿射加神社は『延喜式神名帳伊勢国壹志郡に「阿射加神社三座」とある
名神大社。式内阿射加神社は当初阿坂山上に鎮座していたとされ、
阿坂山上から山麓への遷座によって、山上・小阿坂・大阿坂で三座になったと
考えるべきかどうか、見解が定まっていないようです。
ただ、阿邪訶根神社の由緒によれば、大阿坂の阿射加神社が論社となりますね。
 
約1km離れた小阿坂・大阿坂の両社は阿坂山東麓に東面して鎮座しており、
ともに近世まで「龍天明神」と俗称されていたそうです。
ただし現在の祭神は
小阿坂が
猿田彦大神・伊豆速布留神・龍天大神
大阿坂が
猿田彦大神・伊豆速布留神・底度久神
だそうです。
そして↑の猿田彦大神玉列神社から来たとの説が?!
 
では大阿坂。
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どうやら参道の途中から入ってしまいました。
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ずいぶん長い参道ですね。
そして、本殿。
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地図を見ると、この奥にもう一つ社殿があるようで、
それが三座のうちの一座かもしれないと思いました。
 
さあ、ここから南下し、先日行った佐那神社御神体山を目指します。
 
その御神体山の頂上付近には天台宗金剛座寺がありました。
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ところが、延喜5年(905)に編纂された『延喜式神名帳』によれば
山頂に鎮座していたのは伊勢国穴師神社
そして天暦7年(953)の『近長谷寺資財帳』に穴師寺の名が見えます。
 
にも拘らず、志度寺の『海女の玉取り伝説』で有名な
藤原不比等と海女との子 房前が母への供養として志度寺に奉納した如意輪観音
不比等金剛座寺遷座させて内妻の菩提寺としたとの伝承があり、
いつの頃からか天台宗金剛座寺になっていました。
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屋根の一部が崩れた本堂の裏に穴師神社への登り口があると聞き、探しました。
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きっと、ここです。回り込むと「式内穴師神社」の案内板が!?
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式内社の調査研究により「穴師神社跡」と認められた山頂の祠は
近年まで「愛宕さん」と呼ばれていたそうです。
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クモの巣だらけの道無き道を登り切りました。
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御神体山南麓の佐奈神坂方面です。
現在、松阪市立田町に鎮座している穴師神社
ここから移り住んだ人々が奉斎したと言われています。
 
式内社たる伊勢国穴師神社は、古代タタラ製鉄が盛んだった奈良の穴師山から
遷座したと伝わり、穴師山西麓には現在も穴師坐兵主神社が鎮座しています。
現在の松阪市東部 旧三重県飯南郡にあった村の『朝見村沿革史』に
大和国城上郡兵主神社及ビ同郡大兵主神社共ニ穴師村ニ鎮座、
而シテ祭神ハ素戔嗚命ナリ。当社(松阪市立田町鎮座)祭神モ固ヨリ素戔嗚命ナレバ
其村名ヲ取リテ当社ノ社号トセシナルベシ」とあり。
 
大嘗祭新嘗祭の前日に行なわれてきた鎭魂(たましづめの)歌からも
穴師神社を奉斎する穴師族が古代金属鉱採取に従事していたことが窺えます。
 
鎭魂歌『年中行事秘抄』
     アチメ オ々々々 オ々々々 オ々々々
     アメツチニ キユラカスハ サユラカス カミハカモ
     カミコソハ キネキカウ キユラナラハ
     アチメ オ々々々 オ々々々 オ々々々
     イソノカミ フルヤシロノ タチモガト ネガフソノコニ ソノタテマツル
     アチメ オ々々々 オ々々々 オ々々々
     サツヲラガ モタキノマユミ オクヤマニ ミカリスラシモ ユミノハズミユ
     アチメ オ々々々 オ々々々 オ々々々
     ノボリマス トヨヒルメガ ミタマホス モトハカナホコ スヱハキホコ
     アチメ オ々々々 オ々々々 オ々々々
     ミワヤマニ アリメテルチカサヲ イマサカエデハ イツカサカエム
     アチメ オ々々々 オ々々々 オ々々々
     ワギモコガ アナシノヤマノ ヤマノモト ヒトモミルカニ ミヤマカヅラセヨ
     アチメ オ々々々 オ々々々 オ々々々
     タマハコニ ユフトリシデテ タマチトラセヨ ミタマガリ
     タマガリマシシ カミハイマゾキマセル
     アチメ オ々々々 オ々々々 オ々々々
     ミタマミニ イマシシカミハ イマゾキマセル
     タマハコモチテ サリクルミタマ タマカヘシスナヤ
     一二三四五六七八九十(ヒトフタミヨイツムユナナヤココノタリヤ)
 
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境内に咲いていた芙蓉?
 
無事穴師神社跡を見て、熊野市へ行く特急に乗るために多気駅へ。
少しだけ時間があったので、途中、朽羅(くちら)神社へ立ち寄りました。
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まるで古墳のようですが?
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皇大神宮摂社でした。