藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

旧伊奈町の遺跡 4

今日は少し時間が空いたので、急遽
まだ行けてない狸穴遺跡を探すことにしました。
地図を見ると僅か77m隣に「神社」としか書かれていない建物があり、
そちらも興味深かったのでチェックしていました。
そして、わざわざ旧伊奈村まで行くのなら、2/28に先客が居たため
登ることすらしなかった富士塚にある浅間神社へも立ち寄ることに。
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おっ、田植えの真っ最中ですね!
前回のミニ旅は連休前半で、まだ田んぼに水を張っただけ…でしたが、
今日はほとんど田植えが終わっていて、鷺が何かをついばんでいました。
最初右側の田んぼを見ていたら、突然、鷺が飛び上がって
反対側の田んぼに舞い降りました。
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このとき既に16:37です。先を急ぎましょう。
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真っ直ぐな道が無く、もの凄く遠回りさせられてるよね…
と思いつつ、ナビ通りに走っていたら「狸穴(まみあな)」の住所表示が!!
同じ旧伊奈村の間宮林蔵記念館の北の住所が「狸渕(むじなぶち)」なので
何と読むのか少し気になっていましたが、普通の読み方でした。
縄文時代狸穴遺跡は「字 笹窪」にありますが、字名はナビでは出ません。
つくばみらい市文化財分布地図を頼りに走ります。
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あ、ここが縄文人の生活の場だった↑狸穴遺跡ですね!
向こうのこんもりの中に「神社」があるはずです。
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こういう道を走るのが大好きなのですけれど、
ここは77mしか離れていないので、左手にあっさりと鳥居が見えました。
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さて、何神社なのでしょう?
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周囲より少しだけ高い場所に建っているようです。
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右奥が裏参道のようですが、ずいぶんと合祀されていますね…。
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社名は何と「正一位鹿嶋大明神!?
正一位」といえば「稲荷」ですよね。
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隣接する狸穴遺跡の住所は「笹窪」でしたが、当社は「狸穴1250」。
ふう~ん、タヌキにキツネねぇ…。
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鳥居の方を振り返ると昭和44年の「鹿嶋大明神改築記念碑」があり、
嘉永3年(1850) 新築創立」と刻まれていました。
しかし縄文遺跡に隣接する神社の創立がペリー来航の3年前とは考えづらく、
それ以前は別の神社だった可能性があるのではないかと感じました。
 
これまでに行った神社でも、地元の人に伺うと
三島神社って書いてあるけど、昔は八幡だったから、八幡様って呼んでます」
と仰る例が少なからずありました。
もはや社名や祭神はほとんど信用していない私です。
遠ざかってみると、あのこんもりの中に鹿嶋大明神があり、
すぐ右隣(現況 畑)狸穴遺跡でした。
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では、典型的な富士塚に鎮座する浅間神社を目指します。
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狸穴のあった台地から、もちろん左側を下ります。
下りきって右折すると富士塚が見えるはず。
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あれ? ずいぶん印象が違いますね…。2/28の画像は↓こちら。
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この状態だったので、もしかして古墳? との疑問を抱きました。
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水田との位置関係はどうでしょう?
田んぼの左側に2本、用水路のようなものが走っています。
4/29に行った現利根川沿いの高野(こうや)にある浅間神社や、
戸頭の旧香取神社と同じく、「香取海」から舟で参拝していたかのような?
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階段を上って確信を深めました!
しかし、すでに社殿はなく…
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う…む、バイクで来た反対側の道が、まるで入江のようですね。
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せっかく来たので富士塚で演奏修行し、下りた時は18:13でした。
こちら側はまだ青空↑、反対側は↓夕焼けです。
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水田に太陽が映って、「香取海」の名残の潟のようでした。