藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

科野国

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天気予報の当たらないこと甚だしく
眩しくてシェードをおろさないと座っていられないほどです。
昨夜の予報では今日は雨80%だったので帽子すら持ってきていない私!?
 
長野は近いので10時過ぎに家を出ました。
今日はタクシー以外に交通手段のない場所をまわります。
一応5時間の予約ですが、13ヶ所ほど予定しているので時間切れになるかも?
 
体調の方は、まだジュースやお水ですら痛くて呑み込みづらいのですが、
昨日いただいたお薬で睡眠中の痛みがなくなり、久しぶりに熟睡できました!
お医者さまから
「3週間後に結果が出るまでは帰省しないよね?」と言われ、
「もちろんです。部屋の様子を思い出すだけで具合が悪くなります」
と申し上げた時、カビ臭がこみあげてきました。
やっぱり、心身が拒絶してるんだ…ということで
山の空気を吸ってきます!
 
その前に、長野市内の長池神社へ。
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「長」という字を見ると、どうしても「長氏」との関連を疑ってしまいます。
それで急遽、最初に行くことにしたのですが、市内なので渋滞に巻き込まれ、
時間が押して、結果的に、8社+棚田にしか行けませんでした。
しかも由緒等はわからず終い。天狗の団扇のような神紋だけが気になりました。
 
気を取り直して、長野市から白馬村へ向かうルートをとりましたが、
次の志奈埜市神社は17世紀に再建されたものでした。
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境内には夥しい数の祠が祀られていました。
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こんな調子で大丈夫なのかと思いつつ犀川沿いに西へ進みます。
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川沿いの道の分岐から右上に進み、発音のわからない水内鎭神社へ。
私は「ミヅチ」と読んだので、わざわざ足を運びました。
古来、水の発音は「mizu」ではなく「midu」でした。
「miduchi」とは、まさしく北相馬郡利根町蛟蝄神社の祭神です。
日本の古い神は蛇っぽいものが多いですよね。
安曇磯良も対馬では金の蛇に譬えられたりしていました。
安曇野穂高のある信州と対馬は「蕎麦」というキィワードでも結ばれています。
 
そういえば信州には「上水内郡」もありますね。
いったい何が社名の由来なのでしょうか?
 
持統天皇5年8月辛酉日、
勅使を龍田風神に遣わした日に須波、水内などの神を祀るとあり、
須波神が建御名方神&八坂刀賣神の諏訪上下社だとして
水内神とは何を指しているのでしょうか?
私はどうしても縄文の蛇神「ミシャグチ」「ミヅチ」をイメージしてしまいます。
しかも「鎭(シヅ)」とくれば「倭(シヅ・シトリ)(唐織に対する倭織?)に通じます。
ま、素人臭い妄想の域を出ませんが…。
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着きました。長い参道に歴史を感じます。
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拝殿と農村舞台が一緒になったような造りです。
運転手さんも「山の中にこんなに立派な神楽殿があるなんて!?」と驚いていました。
 
ここから来た道を下り、大町街道をひたすら西へ進みます。
そしてとても細い道を中条日下野方面へ北上し、日郷神社を目指します。
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おおお…北アルプスが見えてきました!
ところが、ナビを信用し過ぎて通り過ぎてしまい、ウロウロしていたら
御近所の方が「ひごう」神社の読みと、場所を教えて下さいました。
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2人も居て、この鳥居を見過ごしてしまいましたか…。
私にとってはここは最高の神社でした。
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階段を上った先に見えたのは古代祭祀場と思しき円形の台地だったのです。
日郷=ひごう」ゆえ《ヒルメ歌》を演奏させて頂きました。
異次元とはこういう空間を言うのか? との妄想の中で非日常を堪能…。
 
ここから宿泊施設もある「やきもち家」さんの方へ北上していると、
「音楽堂」と呼ばれている建物とバス停がありました。
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運転手さんも御存知なく、先を急ごうとしたら石碑がありました。
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さびしい気持ちもしましたが、全国各地で廃校を見てきたので
再利用されていることに安堵しました。
 
少し北上すると「やきもち家」さん(眺望が素晴らしいので泊まってみたい!)、
そこから左折して西へ進むと日本の棚田百選の一つ中条御山里です。
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うわぁ、棚田の風景、最高ですね~!
ちょうど田植えをしておられました。
 
さらに西へ進むと富吉公民館。「天然記念物の一位」の石碑があります。
一位はイチイ科イチイ属の植物で櫟とも書きます。
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目立ちますね。一位の木の隣に神社があります。
が、社名も何もわかりません。この神社は何を遥拝しているのでしょうか?
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うわぁ凄い!! 神社を背にすると、眼前に北アルプスが広がっていました。
ここで、私は、何と、社殿と天然記念物にお尻を向けて道路に座り、
北アルプスに向かって《稲の歌》を演奏したのです。
富吉の隣が「稲丘」という地名だったので。
徳島でも「長氏」の本拠地では山の中腹より高い場所で稲作をしていました。
低地で稲作をするようになったのはいつ頃からなのでしょう?
 
と考える間もなく、ここから同緯度の神社へ向かうのに
いったん山を下り、V字のもう一辺を上ります。ナビで約50分と出ました。
走り始めるとすぐ、運転手さんが「キジだ!」と仰います。
急いでカメラを出し、撮ってみました。
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嘴が草で隠れているため、まるで"怪獣"のようですね!?
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トコトコとメスのあとを追いかけてゆきました(日差しが強過ぎて色がとんでます)。
 
この先から下りに入ると、アルプス展望デッキとアルプス展望広場がありました。
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北アルプス唐松岳より北が雲に覆われていて、白馬岳など全く見えません。
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それでも、普通に走っているだけでリフレッシュできました!
 
小川村役場の近くまで下りて、今度はV字の反対側を上ります。
目指すは式内社澤之宮小川神社です。
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「あ、あれじゃないかな」今度は2人とも気づきました。
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しかし山中にこの神社ですか…。農村舞台もありました。
ここまでほとんどの神社がそうは名乗っていないものの「諏訪」ではないかと?
というのも4本の御柱が立っていたからです。しかも当社は神紋が「諏訪梶」です。
 
再び小川村役場近くまで下りて西へ行くと、もう一つ小川神社がありました。
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こちらも「諏訪梶」ですね…。
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しかし、この由緒。いわゆる式内社争いですか?
 
この時点で17:20 !?
先を急がないと夕食の時間に遅れてしまいます。次を最後にしました。
白馬村神城にある神明社です。
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「国重要文化財」ということで来てみました。
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え?! これ? トタン屋根じゃ…。近づいてみて納得。
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読みづらくてすみません。ピンボケです。
しかし、萱葺(?)だった頃は「国宝」だったと判明。
 
まだまだまわりたかったのですけれど今日は時間切れ。
白馬姫川温泉を堪能させていただきます。