その日本神話には
最初は半信半疑だった私ですが、時々、
こういう部分が重なると解釈されたのかも知れないと感じることがあり、
さりとて、日本神話をもとに後付けされた神社へ足を運ぶのは気が進まず、
何度も行くチャンスがあった福岡空港に近い「宇美」すら訪れていませんでした。
福岡空港から「宇美」経由で「神功古道」を通ってみることにしました。
復路は福岡空港を利用する計画でしたが、大雨で九大本線が不通になったりして
先行きが見えないため、福岡空港往復に変更しました。
その結果、「ウナキ」神社ではなく「ミナキ」神社へ行くことに。
一見、無関係のようですが、古代「ウナキ(うなぎ)」の表記は「ムナキ(むなぎ)」です。
「ムナキ」と「ミナキ」なら語頭のマ行音の変化となります。
倭琴の旅に出るようになってから、なんとなく転訛に興味を持ち、
対馬や北部九州の「シキ・シカ・シコ」の神名や、
神をあらわす「カミ・カムィ・カモ」の語尾変化に着目してきました。
今回の場合は「ミナ・ムナ」という語頭の変化ですが、
「サカ・スカ・ソカ」の例ともども無視するには惜しい気がします。
川蜷(カハニナ)が守った地に祀り、蜷城(ミナギ)と呼んだことに始まるそうです。
辞書に、蜷(ニナ・ムナ)とは即ち川蜷(カハニナ)の古名とあります。
その後、蜷城の読みは「ミナキ」→「ヒナシロ」に変わりますが、神社名に
「ミナキ」の発音が引き継がれ、「美奈宜(ミナギ)」の表記になったとか。
ちなみに林田美奈宜神社の例祭を「蜷城(ヒナシロ)くんち」と呼ぶそうです。
他方、朝倉市荷原(イナイバル)の美奈宜神社の祭神は
当、荷原美奈宜神社の秋の大祭は「三奈木(ミナギ)くんち」と呼ばれています。
そして、当地には、翼を持ち、空を飛べたという「羽白熊鷲の塚」が
あるそうです。もっとも「水の文化村」建設にあたり、70m離れた場所にあり
埋葬物の無かった丸い石を墓として移設しただけのことらしいですが。
「羽白熊鷲」とは、西暦200年頃に現在の古処山を本拠地としていた豪族で、
神社の伝承によれば、
喰那尾山に陣を布いて、古処山(白髪山)を本拠地とする「羽白熊鷲」を討ち取った。
この軍功を小山田邑出立の際にお告げを受けた「三神」の御加護によるものとした
神功皇后が三奈木川「池辺」の地にヒモロギを立てて神を招き、戦勝を奉告したのが
荷原(イナイバル)美奈宜神社の起こりだそうです。
それなら熊襲征討に向かうも勝てず、いったん撤退したくだりが抜けています。
御神託を信じなかったゆえの死として描かれています。
於是大后帰神、言教覚詔者、西方有国。金銀為本、目之炎耀、種種珍宝、多在其国。
吾今帰賜其国。爾天皇答白、登高地見西方者、不見国土。唯有大海。
謂為詐神而、押退御琴不控、黙坐。爾其神大忿詔、凡茲天下者、汝非応知国。汝者向一道。
那摩那摩迩控坐。故、未幾久而、不聞御琴之音。即挙火見者、既崩訖。
西の方に国があり、金銀をはじめ、目のくらむような宝物がたくさんある。
われは今、その国を服属させようと思う。しかして天皇答えて曰く
高所へ登って西の方を見ても国土は見えない。ただ大海があるだけだ。
偽りを言う神だと思った天皇は琴を押しやり、黙って控えておられた。
その神はひどく怒って、そもそもこの天下は、汝の統治すべき国ではない。
汝は一道に黄泉国へ向かいなさいと詔された。
御琴を引き寄せて、しぶしぶ弾き始めたが、まもなく音が聞こえなくなった。
和琴にまつわる有名な神話です。
「和琴は和国の器にして、日本の音曲の頭としるべし」が腑に落ちます。
なお、この荷原美奈宜神社の「式内美奈宜神社」案内板には、祭神の一柱として
「神宮皇后」と墨書されています。これでは社伝も信用できかねますね。
います。神話の世界とはいえ、勝手にヤマトタケルの存在を消してしまうとは!?
ということで、神功皇后絡みとはいえ、足を運ぶ必要があるかどうか?
これを討ちます」のくだりも、栗尾山がどこにあるのかわかりません。まさか喰那尾山?
戦勝を祈願したとの言い伝えがある大己貴神社へは7年前に行きました。
そして、今日も通りました。
この大己貴神社と美奈宜神社を結ぶ線上に、かつて赤岩神社があったそうですが、
その子第38代天智天皇が朝倉橘広庭宮を建てた際には扁額を寄進したと伝わります。
やはり記紀の日本神話に合わせて創建された神社が多いというのは本当らしいですね。
境内にある何本もの樹齢二千年をこえる大楠が天然記念物に指定されているそうです。
ここ伊都縣主の五十迹手が仲哀天皇の協力者とされているため。
わざわざ古い歴史を持つ地を見つけ、神功皇后の出産神話と結び付けたのでしょうか?
現在、宇美八幡宮の御旅所、頓宮の扱いを受けているそうです。
御神体山とされる井野山と相対する形で、1km以上離れた場所に鎮座しています。
他方、井野八幡産宮は社殿前に立つと、背後の井野山を遥拝する形となります。
標高236mという低山でありながら、井野山の山頂から見渡せる眺望は360度で、
晴れた日には博多湾を一望できるそうですから、格好の国見山です。
ところが、前月の大雨で崩落した箇所があり、通行止め!? で登れませんでした。
長嶽山古墳群から宇美町の井野八幡産宮までが29.3km、
香椎宮古宮から井野八幡産宮までが10.8km、
こちらがその八幡産宮。
隣接している井野公園から来た道を振り返ると、宇美八幡宮へと続く
真っ直ぐな道が参道なのだとわかります。
井野山と無関係な位置に鎮座する宇美八幡宮を八幡産宮で結びつけようとしたのでしょうか。
ただ、筑豊本線を越え、砥上岳が見えるまでに止んだので、
砥上岳(496.5m)の登り口にあり、山頂の石祠「武宮」の遥拝所とされる
由緒書によれば
「中津屋」と呼び、軍衆に兵器を砥ぎ磨かせたため「砥上」の地名を残したとあります。
これだけでは、三韓征伐なのか、「羽白熊鷲」征討なのか、特定できかねますが?
ただ、ここからは砥上岳は見えず、横手にまわってみると、全国的に言われている
トカミ=ピラミッド山とのイメージが崩壊してしまいそうな山容が見えました。
「トカミ山って、尖り山の訛りじゃないかって妄想してたんですけど…」
と独りごつ私に、運転手さんが「あの家から人が出て来ましたよ」と教えて下さいました。
「トカミ山を見てまわっていますが、トンガっていないトカミは初めてです」と申し上げると
「この先の道路から見ると、山頂がトンガって見えますよ」と教えて下さいました。
そこから撮った砥上岳(写真中央あたり)は僅かながら山頂がトンガって見えました。
この案内板は、熊鷲征伐と新羅出兵の両方に関わるとの説ですね。
根拠が示されていない「羽白熊鷲の墓」へ行くのも気が進まないため、
ざっと走っただけですが、きっと縄文時代には一大集落があったんだろうと感じました。
ここが、神功皇后がヒモロギを立てて神を招き、陣を布いたという喰那尾山山頂の
喰那尾(くひなを)神社で、美奈宜(みなぎ)神社の上宮だと言われても上る気にはなれず、
素通りしてしまいました(足の指を骨折してるし、根性が足りませんでした…)。
もちろん須川の地名が「スカ」を連想させるからです。
「スカ・サカ・ソカ」の人々ではなかったかと疑われますよね?
あれが九州の屋根「くじゅう連山」なのでしょうか?
須川は、九州の屋根のずっと手前、画像左端の奥あたりかと…。
「朝鞍寺」「朝闇寺」の記録があり、「あさくらでら」と呼ばれた時期があった
とのことで、ここから「あさくら」の地名が起こったとも言われているそうです。
そして当地には何と斉明天皇が営んだ「朝倉橘広庭宮」があったとされています!
娜大津(なのおほつ)の名を長津(なかつ・那河津)と改めました。
5月9日に斉明天皇は朝倉橘広庭宮(あさくらのたちばなのひろにはのみや)に移りましたが、
その宮は朝倉社(あさくらのやしろ)の木を伐り払って造営されたため、雷神が怒って
御殿を壊し、宮殿内に鬼火が現れ、大舍人や近侍の人々に病で死ぬ者が多かったとか。
朝倉の地に僅か2ヶ月余り置かれたとされる皇居(?)ではありますが、「アサクラ」も
古代「イヅモ」「ヤマト」と同じく、複数あったのでは? と妄想していることから
朝倉の地で神楽歌《朝倉》を歌ってみることも演奏修行の一つです。
神楽歌《朝倉》
本歌 朝倉や 木の丸殿(きのまろどの)にや 我が居れば
末歌 我が居れば 名乗りをしつつや 行くや誰(たれ)
一段下に朝闇(あさくら)神社が見えました。
この位置から右手上を見ると金比羅社の鳥居がありました。
その朝倉橘広庭宮から南東に直線で約3.5km、斉明天皇の御陵跡とされる
当地、筑後川の山田堰には「朝倉の関」がありました。
昔、日中に「朝倉の関」を通れない者が、夜になるまで身を隠したと伝わる大楠が
樹齢1500年余、根廻り35.4m、高さ21m以上という全国第8位の巨木で、
昭和9年(1934)に国指定天然記念物に指定されたそうです。
あ、おそらくあれが大楠なのでしょう。
かなり樹に治療が施されたようですね。
「隠家」と呼ばれていたこともあり、まるでお家のように見えます。
かつては周辺に人家がなかったというし、この先がすぐ筑後川なので、
舟で行き交う人々からも目印にされていたのでしょう。長生きしてね!
さて、今日は筑後川沿いの温泉宿に泊まります。
筑紫次(二)郎ですが、今年6月29日から続いた大雨によって原鶴温泉の旅館が
浸水被害に遭い、7月末まで夏の風物詩「鵜飼い」の中止が決まったそうです。
近年の大雨・台風被害には成す術もなく、油断できない季節となりました。
私はたまたま対岸の宿を予約していました。
古い梁などを生かしてリフォームし、4月から稼働しているツインです。
筑後川が見える(ということは対岸からも見えてる?)露天風呂つきのお部屋です。
夜、真っ暗になってから入り、明朝も入りたいのですが、時間が…!?
無理をお願いしてシングルユースにして頂いた上、食事は私が小麦アレルギーなので
別メニューにして下さいました。
「お醤油は丸大豆100%を使っています」とお話ししたので
わざわざ御購入くださったそうです。
筑後川の鮎、見た目よりずっと美味しかった!!
鮑は、歯が悪いため、生のお刺身はコリコリで噛めないのですけれど、
ちょうど良い柔らかさに仕上げて下さったので美味しく完食できました。
今日はA5ランクの宮崎和牛だそうで、250~300gほどありました。
他にも湯葉の煮物などあって、味・量ともに満足でした。
温泉が素晴らしく、身体がよく浮くし、再訪したい宿となりました。
ペット可のお部屋もありますが、うちの子、飛行機に乗れるでしょうか?