この小高い丘のために急カーブを描いて那珂川が蛇行しています。
製鉄の神を思わせる風早神社(祭神=級長津彦命)の名前に惹かれてゆきました。
が、雑草だらけの道!? きっと蛇が居る…と思い、引き返しました。
登られた方のブログによれば
「丘の頂上は直径30mほどの円形の平地で、小さな祠があるだけ」とのこと。
まさしく古代祭祀の場にふさわしい形状です。
隣接(北東)する安徳台では2200年前の製鉄所跡が発掘されたそうです。
風早神社は製鉄に必要な水(那珂川)と風の象徴。
安徳台の住居跡からは青銅器の鋳型、鉄器や鉄片なども出土しています。
青銅の民の集落に鉄を扱う渡来人が被さった?
九州は渡来氏族の伝承が多く、さまざまな渡来人の製鉄や土木の技術を
結集してつくられたのが安徳台だったとする説もあるようです。
(『日本書紀』に「轟の岡」として登場しているらしいのですが未確認…)
ここに定住してクニづくりをするために必要な水、水田に不可欠な水の
安定供給のために造られたのが裂田溝(さくたのうなで)だったのでしょう。
那珂川町は遺跡の調査や管理に力を入れているようです。
裂田神社から北を見ると↑、南西を見ると↓
上の画像の左側が裂田神社。
人工的な用水路と遊歩道なのに、とても気持ちの良い場所でした。
このコースは是非ぐるりと歩いてみたいですね~。
(7/21に再訪できればと考えていましたが、時間的に無理とわかり今UPすることに…)
2017年7月4日15:20に現人(あらひと)神社に着きました。
この時は台風3号が通過して雨にも降られずよかったなぁ…と思っていました。
道路を走っていると唐突にさっぱりとした境内が目に入りました。
「あらひと」って「ツヌガアラシト」みたい!?
(うわッ、画像をUPしていませんね…見つかったらあとでUPします)
白石から生まれた阿加流比売(あかるひめ)神に求婚すると消え去ったといいます。
探して追いかけると姫は日本に渡り、比売語曽社の神になったと伝えているのです。
造られたことと付会させられなくもないのですが?
この渡来氏族の神社かも知れない現人神社の祭神が「住吉三神」?
海人族は1万年以上前から外洋を航行していた歴史がありますし、
日本列島への渡来の波も何層にも重なっていますから、
純血種の日本人を探すことは困難でしょう。
アイヌ民族のように独自の遺伝子を持っているわけでもなさそうですし。
ただ、この現人神社が何年からここに鎮座していたのかもわからないのに
博多の住吉神社の元宮と名乗るというのはいかがなものでしょうか?
神功皇后だって実在したかどうかわからないというのに?
少なくとも、この鎌倉時代に書かれたという博多古圖を見る限り、
「日本第一 住吉大明神」は、海洋民族の大好きな入り江の中にありますよね。
那珂川の上流にある現人神社は外洋へ出るには奥まり過ぎていませんか?
もっとも、先進文明を携えて渡来し、資源豊かな土地にクニを築いた人々が
もちいつく神を「住吉三神」と名づけ、テリトリーを拡大するごとに
分霊していったのだとしたら納得できますが?
「住吉三神」「宗像三神」の出自や変遷が社伝によって異なっていたり、
歯切れの悪い説明が多いことも、天孫降臨後に造られたこれらの神々が
縄文以来の日本の神を駆逐して鎮座した疑いを抱かせます。