おはようございます!
今日はこのまま「伊福」へ直行できると良いのですが、
その前にかなりハードルが高そうな、地図に道の無い向津姫神社を目指します。
なぜ、松江にムカツヒメが?
「撞賢木厳之御魂天疎向津媛(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)」は
六甲山には六甲比女(むこひめ)大神として祀られています。もちろん異説あり。
ならば、耶馬渓のムカツヒメは?
という疑問に突き動かされて耶馬渓ダムまで来ました。
橋を渡ったら右折し、いま見えている山の裏側を走ります。
山の中を走るのは大好きなので、いつまででも何時間でも走っていられます。
しかし、上がったと思ったら下り、ここかと思ったら次の山へ入ってゆく繰り返し!?
さすがに不安になりますよね?
この集落へは左側から来られたんじゃないの? と思い、地図を確認したら
見えている集落までしか道が無く、行き止まりのようでした。
さ、次のこんもりに入ります。
道は合っているようです。向津姫神社は木ノ子岳に鎮座していますので。
えぇ…?! また下りですよ…(あんなに登ったのに)。
おお?! かなり下って来てここを右折ですか…? 予想通り、ハードルが高そう。
だから体力のある朝一番に来たんです。当初は昨夕の予定でした。
山で日没を迎えるほど怖いものはないのに?
これが、道と言えるでしょうか? 石ころでガタガタの道が落ち葉で隠れています!?
正面のおうちと左側のお宅の敷地と道の区別がつきません。ここを抜けたら右折して登る!!
さすがヤマハのスポーツタイプです。普通の原付なら担いで帰るようでした!?
この先まだ、木ノ子岳山頂へと道が続くのでしょうか? 私はここを左折。
おおお、社殿がありますよ!
社殿の後ろはこんもりと盛り上がっています。
香春の銅山を平らげた神功皇后らが当地の土蜘蛛を一掃して蜘蛛窟を作ったか?
との疑問から足を運んだわけですが、想像以上に厳しい「場」でした。
私は落ち葉だらけで急勾配の石ころ道を登ってきました。
この道しか見当たりませんでしたが、あの、左上がりの坂はどうですか。
参道は? と鳥居まで行ってみましたが、下が見通せません!?
この参道への入り口がどこにあるのかなんてわかりません。地図に道がないのですから。
ともかく、折角ここまでやって来たのですから演奏修行だけはしました。
どこからか飛んできて、私が座っている目の前に陣取ってました。
さあ、分岐まで慎重に引き返しますよ…。
そしてもう南からの林道は通らず、北へ向かいます。
こんなに立派な道があったのですか…(南の林道は登ったり下ったりでしたが)。
途中、かなり下った分岐から木ノ子岳方面へ登った気がしていたのに、
その分岐から北上するとずっと下りでした。調べたら向津姫神社の標高は284m。
今年はほとんど紅葉が見られない耶馬渓ですが、宿の方から
「御霊もみじへ行ってみたら? 可能性があるかも?」
と教えて頂いたので立ち寄りました。
少し紅葉が見られましたが、私はイチョウの黄色が好きだったことに気づきました。
ふつうに走っていたら、きれいなイチョウがたくさん見られましたよ。
たいへんな遠回りをしたのち、いよいよ「伊福」を目指します。
朝、ホテルから直行すれば、13分ほどで行けたのに…。
タタラの本拠地たる耶馬渓には「金吉」や「吉野」の地名があり、
「伊福の景」「蜘蛛ノ窟の景」といった名所があります。
「伊福展望所入口」のバス停!? 展望所とは?
あの山を展望するってことかしら?
いや、あれが展望所の駐車場を指し示しているのかも?
ともかく行ってみましょう。
えええ~~~?!
なんですか、あの屏風は!?
「伊福」の集落よりも、その背後に聳える岩盤の方が有名な訳ですね?
100万年前の火砕流堆積物から構成されていることが判明しています。
耶馬渓層と呼ばれ、複数の異なる時代に堆積した地層群なのだそうです。
近畿地方や房総半島、新潟にまで達し、地層の時代を決める鍵層となっているそうです。
やっと昨日見た「有明海と瀬戸内海がつながっていた」が理解できました。
日向市にも大御(おほみ)神社がありましたが?
毎年10月第4日曜日に「古後大浦楽(こごだいうらがく)」が奉納されているそうです。
「古後大浦楽」は大御神社の秋祭りに奉納される杖楽で、元禄14年(1701)に筑後地方から
伝わった「河童供養」と、五穀豊穣を祈る秋祭りであると説明されています。
これは昨日立ち寄った亀岡八幡神社御仮屋の「白地楽(カッパまつり)」に似ていますね。
平家落人の隠喩たるカッパの霊を鎮める祭りを継続している意味を考えさせられました。
さらに、南北5.23kmの距離にある古後の大御神社と宮園の雲八幡宮が、いずれも
東経131.09に位置することから、源平合戦どころか紀元前からの関係性を疑っています。
その河童を供養するため、毎年5月に川祭りが行なわれているそうです。
川祭りでは、河童が好きな胡瓜や酒を川中に立てた笹竹につるして供えます。
(私の印象では、高良山説があることでもわかるようにカッパは古くは磯良の隠喩、
時代が降って平家の落人伝説と重ねているため、雲はやはり蜘蛛との妄想は覆せません)
ああ、あれが大御神社のようですね。
手前に川もあるし、昔ながらの神社様式を踏襲していそうです。が!?
入り口が閉鎖されています!?
余所者が入っても構わない場合は「カギを開けて入り、閉めて帰って下さい」とか
貼り紙がしてあるものですけどね…。
なお、当社の「古後大浦楽」について、「くすまち観光協会」HPにこうあります。
大浦楽は、男の子が扮する河童(コモラシ)4人をはじめ、大団扇を持つ者など
氏子総勢約70名がきれいな衣装をまとい、実に勇壮なものである。
踊りは、「道楽(みちがく)」といわれる集落から鳥居までの道のりと、
「庭楽」といわれる鳥居を入った広場と拝殿前で踊られる。
源平合戦の折、平家の落人が亡くなり、その霊が河童となって悪戯をするように
なった。その河童を慰めるために、この楽を行うようになったといわれている。
私的には「ヤメ」「ヤベ」「ヤバ」「ヤブ」関連かと訪れた耶馬渓。
そこに出現したカッパ! 豊前宇都宮氏と宇佐八幡のせめぎあいは興味深かったですが。
いずれにせよ、武家社会以降は、古代歌謡を究めたい私の守備範囲ではありません。
今さら引き返して豊後森方面へ行く気にはなれないため…そろそろ下界へ戻ります。
日田市に戻りましたが、景色は耶馬渓と変わらないじゃありませんか!?
そうだ、高住神社へ行こう! たしかここから遠くないはず。
地図に道は載ってないけれど、方角を定めて15分ほど走ると…
明らかに道を通すために山が削られ、無理やり階段がつけられています。
先に進むと、反対側にも登り口がつけられていました。
が、ここにバイクを置いて登るのは怖すぎます。
バイクでもっと登ると社殿まで行けるかもしれないし。
道が狭いのでUターンもできず、どんどん進んでいたらウリ坊が出現!
急いでカメラを構えましたが、うまくとらえられません。
側溝に隠れたのかな? と思ったら、前方を走っていたり…。
そうこうしているうちに、隣に高速道路が走っていたと気づきました。
この高速道路を通すために高住神社の参道がなくなり、階段がつけられたんですね。
道幅が広くなり、ウリ坊の姿も消えました。
いったいどこから公道へ戻れることやら…と嘆息しつつ走ること1km以上。
助かりました! ガード下をくぐれば市街地へ向かえます。
いずれにせよ、お昼も食べずに走っていたので、ちょっと休みたい…。
うわぁ~~懐かしの木の花ガルテンが見えてきました。
毎回満席で入れませんが、今日はもう15時です。
お客様が半分くらいだったので無事座れました。
結局、16時まで休憩したら、もうどこかへ行く気力は無くなり、
今夜の宿泊先へ直行することに決めました。
空振りが多く、実りがあったのかどうか全くわかりませんが、
走っているだけで楽しいので、成果は求めないことにします。
さ、温泉へ来ましたよ!
いくら17時前とはいえ、駐車場に一台も停まってないのはおかしいわね…
と言っていたら、お休みでした!?
この景色だけ見たら、耶馬渓なのか大山町なのか区別がつきません。
活気は断然大山町ですが。
次はいつ木の花ガルテンへ行けるでしょうか?