藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

英彦山~耶馬渓

福岡県の田川郡を検索すると、"豊前国で唯一海岸線を持たない郡"と出ます。
ちょうど3年前の今日、田河郡(たがはのこほり)を鹿春郷(かはるのさと)から彦山川に沿って
2017年7月の九州北部豪雨の影響で運休中(添田駅夜明駅間)彦山駅まで行きました。
その時は英彦山に登ろうなんて気持ちは微塵もなく素通りしたのですけれど、
耶馬渓へ行こうと決めて、地図を眺めたら、日田から北上して英彦山へ行き、
引き返して東進すれば耶馬渓を楽しめるのではないかと思い至りました。
(ここはまだ大山町で↑耶馬渓ではありません)
ただし、国道500号線豊前坊〜英彦山間と、国道496号毛谷村〜野峠間は
九州で一番雪の多い区間で、下手をすると2ヶ月も通行止になるんだとか!?
そこで、11/12~14の鳥取行きのあと、かなりキツイ日程ながら旅を決行。
前回の経験で、山中にはまだまだ通行止めや舗装の崩れた道が多いことは
承知していますが、私の人生においては、ほぼラストチャンスなのです。
いったいどこまで行けるのか、走ってみることにします。
(結局、あの中央の山々の近くまで行きました)
中津市山国町草本には、かつて「山国旭金山」があったそうです。
そこへ行く道に吉野若八幡神社(中津市山国町吉野511)があるはずです。
神武東征の折、尾のある人が井戸から出てきたという「吉野」の民を想起しています。
あ、いや、しかし、「吉野」は、あっという間に過ぎてしまい、
吉野若八幡神社へと曲がる道を見つけられませんでした。
もう猿飛村まで来ていました!?
ここには私の大好きな甌穴(おうけつ)があるんですよ。
1935年に国の天然記念物に指定された猿飛千壺峡(さるとびせんつぼきょう/山国町草本)
激流が造った大小無数の甌穴は約2kmにわたっているそうです。
ここから歩いたら大変なことになります(郵便局を左折すればいいらしい…)
駐車場まで来たら、かかしが運動会をやっていました!?
阿讃山脈でもかかしを見ましたが、ここほど大勢はいませんでした。
あれ? 驚くべきことが書いてありますよ!
瀬戸内海と有明海がつながっていたんですって!?
しかし、肝腎の甌穴が見当たりません…。国の天然記念物なのに?
行けども行けどもありませんね…。
景色としては、きれいでしたよ。
強いて挙げるなら、ここでしょうか? ボールは入っていませんが。
以前見に行った甌穴はこちら↓
もう一ヶ所、挙げておきましょう。
そんなにゴロゴロある訳じゃないから国の天然記念物になるのでしょうけど。
この先、どんどん登ってゆきます。あれが英彦山でしょうか?
見てもよくわからないのですけれど、英彦山には北岳・中岳・南岳の3つの峰があるとか。
添田市のページからお借りしてきたのですが、英彦山信仰って大掛かりなんですね。
そこで大々的に登山するつもりの無い私は、右上の端にある高住神社へ行くことに。
豊前坊」と言って有名らしいし、「望雲台」という断崖絶壁があるらしい…。
高住神社は日田市や田川市朝倉市など、北部九州各地に鎮座していて、
はたして英彦山からの勧請なのか? と思っただけなのですが。
北面しているため西陽が当たりません。ここが③の望雲台ですね。
そして④の鷹巣山(たかのすやま)がこちら↓
結局、高住神社は、急勾配に恐れをなして失礼しました。
一応、社頭までは来たのにね!?
明日は日田市の高住神社へも行ってみたいのですが(道路が無い!?)
英彦山から猿飛甌穴の間、往復とも嘴の白いカラスを何羽か目にして興味を持っていたら
遠くの山々を撮っている私の頭上はるか上の枝にとまりました!
初めて見たのですが、これはミヤマガラスで、越冬のため飛来する冬鳥でした!?
細い嘴が、成鳥は基部の皮膚が剥き出しになるため白く見えるのだそうです。
 
英彦山方面への道はなかなか大変でした。
ガードレールの無い場所があり、80以上もカーブがあるというのに、乗用車が
結構なスピードで下りてくるので、端を走っていてもぶつかりそうになります。
こんな山中に「みやこ町」とあって驚いたり(やはり資源のある場所が都?)
もう一つ驚いたのは国道が「通行止」なのに、手前にそれを知らせる表示がなかったこと。
国道500号線を登ってきてのT字路は行橋方面への国道496号線が「通行止」でした。
私は幸い、500号線のまま英彦山方面へ左折しましたが、行橋方面へは右折できないため、
手前の標識に「通行止」のマークを貼るなど工夫できないものでしょうか?
 
さて、明日のメインテーマは「ムカツヒメ」。
英彦山高住神社からは直線で22km。山を幾つも越えてゆくわけですから
なるべく近い場所で宿を見つけたかったのですが、旅館は先ず一人客お断り!
何とかオーベルジュに頼み込んで泊めていただけることになりました。
そこまでの道すがら、狛河童がいるという八幡宮に立ち寄ります。
当然ながら、「雲」=「蜘蛛(土蜘蛛)」の連想からです。
ところが、これが、土蜘蛛ではなく、白雲が湧いたというので素通りしてしまいました。
狛河童くらい探す根性がないとダメですねぇ…。
拡大したら写ってました。新しいですね。差し詰め客寄せカッパでしょうか?
否、平成2年(1990)天皇即位を祝して建立されたのだそうです。
しかも、当社のカッパは、壇ノ浦から逃れて耶馬渓の里に辿り着いた平家の落人の霊魂で、
それがカッパとなって荒れ狂ったため、魂鎮めとして村人たちがカッパ楽を奏したのだとか!?
 
納得できかねますが、当社の元宮が近くにあるというので行ってみました。
我ながら、こんなところまで来るなんて、どういう物好きなのかと思いますが?
八幡神」と言えば、ハタ王国たる「宇佐」の専売特許みたいなものです。
それなのになぜ、ここ中津市耶馬渓町大字宮園に「八幡神御出現の地」を作ったのか?
そしてカッパとは何だったのか? 平家滅亡の歴史がヒントになりました。
 
当地では壇ノ浦から逃れてきた平家の落人の霊魂がカッパとなって暴れたと伝わりますが、
架空の生き物カッパを想像すると、壇ノ浦で土左衛門になった武士の姿と重なりませんか?
 
平家を滅ぼした源頼朝平氏方の所領を没収し、鎌倉御家人を地頭に任じました。
中でも治承4年(1180)下野国から源頼朝の挙兵に参じた宇都宮信房(1156-1234)
各地で功を挙げた後、文治3年(1187)9月に鬼界ヶ島の平氏残党を討伐した功績によって
建久3年(1192)豊前国を中心に豊後国日向国内にまで所領を与えられたそうです。
こうして豊前宇都宮氏の祖となった宇都宮信房は数郡以上を領有する大身領主として
豊前国仲津郡城井郷の名を負い、「城井(きゐ)」信房とも名乗っていました。
 
それまで豊後国は平家の勢力下にあった宇佐八幡宮が支配していましたが、
平家滅亡後、鎌倉幕府御家人宇都宮信房が下向したため、宇佐八幡宮
武士の間には土地の支配をめぐる争いが頻発したそうです。
それが当地に武士にとって重要な「八幡神御出現の地」を作った背景だったのでは?
しかし、このドルメン、いつ造ったのかしら?
ここへ来て脱力してしまった私は、早々に今日の宿、耶馬渓(しんやばけい)観光案内所の
近くで30年営業を続けているというオーベルジュへ向かうことに。
チェックインする前に隣接する観光地「一目八景」へ行ってみたら?!
え?! これを見るために沢山の車が? ちょっと驚きました。
わざわざ来なくても普通に走っていたってこういう風景ばかりなんですよ↓
露出した岩盤の隣に神社もありました。
そして、ここ亀岡八幡神社御仮屋にも「カッパ」がいたんです!?
明日もカッパに関する催事のある神社へ行くつもりですが。
ということで、「一目八景」から北へ少し戻ります。
こちらの方が西陽が当たってきれいですね。
当館は全7室、すべて2間続きの離れとして建てられており、
本来、シングルユースは受け付けていません。
しかも私は小麦アレルギーという注文の多い客。
これじゃどこも受け容れないだろうと憐んで下さり(?!)、最後の空室を予約できました!
内湯も露天風呂も源泉かけ流しです。
バイクでどんどん登ってゆきます。敷地が6万坪でしたっけ?
お食事はこちら。シェフはリヨンで修行されたらしいです。
エビのテリーヌ
カンパチとホタテの香り焼き
ヤマメのムース仕立てホイル焼き
牛ロースのグリル
 
ただし、私は小麦アレルギーなのでパン無し!?
こんなことなら、木の花ガルテン米粉のパンを買って来るべきでした。
ふだん凄く野菜を食べる私にはビタミン不足のメニューでもありました。
 
何はともあれ、念願の耶馬渓に来られたのですから明日も元気に走ります!