古和気(こわけ)神社の名にひかれてやって来ました。
四阿にとても小さな祠が入っていました。
古代祭祀の円形台地から、海がこんなにきれいに見えるなんて…!
運転手さんが、正面の小さな島に(実は3つあるらしいのですが)
注連縄がかけられているんですよと教えて下さいました。
当地は明治の一時期「和気郡」だったので、「古和気」の名は
和気清麻呂に関係があるのか? との疑問から立ち寄りました。
演奏修行する気はなかったのですが、景色も桜も
あまりに美しいので一曲のみ演らせて頂きました。
今回の旅で一番桜が残っていました。
実は伊予へはドラゴンボールを見にやって来たのです。
これまでに見たドラゴンボールはこちら
↓
大御神社で見つかった5000年前(?)の「龍の卵」
平成23年4月の発見
ということですから、ちょうど 8年前ですね。
美味しいと思いますが、根拠なしではビミョ~でしょう。
さらに、こちら飛水峡の「甌穴」群 (ポットホール)
飛水峡の方はあくまでも自然の産物ということらしいですが。
松山市の白石ノ鼻の場合はどうでしょう?
白石ノ鼻の巨石の中で最も有名なのはこちらでしょうか?
どうやって積まれたかわからない岩に正対するように龍神社が建てられています。
社殿が苦手なので本当にガッカリしますね…。
運転手さん曰く
「春分の日に岩の真ん中の隙間から日が射してくる位置に社殿がある」
とのことで、このような額が飾られていました。
ふう~~ん
古代人が暦を知るために巨岩を組み、現在は舗装され社殿が建てられていますが、
元々ここにあった岩盤などに巨岩の間から射す光を刻み込んでいたのでしょう。
そして社殿の前を北へ歩くと↓この巨石群が。
これを自然の造形というのはちょっと…。
古代の祭祀場であったことを肯定する材料も否定する材料も
持ち合わせていませんが、4/1は若潮で、行った時間が干潮直後だったので
満潮時には海の中にある岩も見ることができました。
どうでしょう? 波に打ち寄せられた石が海蝕でできた穴に偶然
入り込んだようにも見えますが?
こちらはまるでガラパゴスゾウガメのような?! 肌合いですが、
どうでしょうか? 別の石だったとしても既に同化してる?
この巨岩の反対側もupしておきましょう。
長い年月を経て"柄"のようになってます!?
この浜から東北東を見、運転手さんに「あれは高縄山ですか?」と訊くと
「そうです」との返事。頂上近くに真言宗の高縄寺がありました。
高縄山が国際的に知られるようになったのは2012年3月。
「高縄石」(学名=タカナワアイト)が国際鉱物学連合から新鉱物と認められました。
こちらは道を間違えて高縄山へ行ったブログ
古和気神社から白石ノ鼻へ向かう途中、運転手さんが左の丘を指差し
「あそこにも神社がありますよ」と仰います。
「車で上がれるようなら行ってみましょう」
「ん? 北向きなんですか?」「真北に向いてますねぇ」
たしかに、さっき古和気神社から見た島が見えました。
略記に、もともと「日女宮の古祠」があったと書かれていますね。
真に受けるのもどうかと思いますが、社伝によれば
18社のうちの一社」ということのようです。
ヒメ宮と三女神の関係は大元神社と宇佐神宮を彷彿とさせます。
それにしても雑多な印象の拝殿ですね…。
人工的建造物が苦手な私はかなりひいてしまいました。
この立派すぎる石碑に刻まれた「おがたまの木」に
かつての「日女宮」への思いが込められているのかな?
そして今日「粟井」駅から最初に行ったのが目魯止神社。
社名がまったく読めず、いま検索したら「まると」だそうです。
ところが、瓦を見ると「ま」ではなく「め」?!
他にもいろいろと気になる点が…。
相撲…となると渡来系ですよね?
地元の方のブログには忌部系ではないかと書かれていましたが。
それは祭神によるものだそうです。引用させて頂くと↓
このように忌部氏には複数の別々の祖神がいるのだそうです。
しかも「粟井」は「阿波井」に通じると言われ、
鳴門に阿波忌部の阿波井神社がありました。
由緒にあった「得居」氏が気になったので検索すると、
得能の「得」と土居の「居」を使用したと伝わるとか!?
すると、河野氏も忌部なのでしょうか?
この由緒からは何もわからない無知な私です。
第一に、天ノ目一ツ神なのに、目が二ツあるんですけど…?