藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

霞ヶ浦南岸・美浦村

10/11に続き、10/13に阿見町美浦村方面へ。
前回、近くまで行ったので足を延ばしたいと思いましたが、
家人が夕方出かける予定だったので、家から遠ざかるのを避けて
慌てて帰宅したら、ちょうど外出するところでした。
距離的にあと一歩だったのに…と、心残りがあったため、
10/13は一日中家で執筆すると聞き、急遽出かけることに。
3ヶ所の遺跡巡りですが、初めての道を走るのが好きな私は
10/11と同じ道を通るのが憂鬱でしかたありません。
うわ~、やっぱりこうなりましたか…。
またしても阿見のアウトレットで信号待ち…。
無駄なエネルギーを遣っている感を拭えません。
前回はここを右折したなぁ…と思って右手を見たら
雪印メグミルク阿見工場が見えました。
前回はナビが道を間違えて、この工場の裏を走らされました。
ここまでが「いつか来た道~♪」で、この先、霞ヶ浦方面へ北上します。
縄文台地に上ってきました。目的は「宮平貝塚」です。
取り敢えず、鹿島神社の参道を歩いてみたら案内板がありました。
貝塚の位置が示されていたので、最も近い隣の畑を撮ってみました。
もっと貝がビッシリと詰まっている貝塚を見たことがありますが、
ここは開発されて公道が作られているので…。
様子がわかったところで、前回の復習。
古代歌謡の発声チェックをします。
狭くて長い参道でした。途中、風通しが悪いせいか恐ろしく黴臭いと感じました。
社殿の左横から、貝塚たる隣の畑へ抜けられるようです。
振り返ると、社殿の規模に比べて大きめの狛犬が設置されていました。
黴臭さを感じる場所から後退し、この位置で演奏修行をしました。
ここから先は、霞ヶ浦沿岸の道を東進するため、台地を下ります。
霞ヶ浦の対岸へも何度も行きました。
どこからでも見える筑波山
もう少しで霞ヶ浦南岸に沿って走る125号線に出ます。
左に見えるのが美浦村(みほむら)大須賀津(おほすかづ)の「同居塚古墳」、
右のこんもりの手前奥に「大須賀館跡」があるようです。
大須賀氏は平姓千葉氏族で、平常胤の四男 胤信が
下総国香取郡大須賀保を領し、陸奥国岩城郡好島庄領所職を得て
大須賀」を称したことにはじまると書物にあります。
「須賀」地名は、スサノヲを象徴する「スカ・ソカ・サカ」由来かと思われますが。
300mほど先に「黒坂命古墳」の看板があったので、ここを右折して
バイクが通るのがやっと…という道に入ります。
とても小さい円墳ですね。
古墳の東側の道から正面とされる場所へ回り込めました。
ちゃんと整備しました感がすごいです。
ここに「黒坂命の墓ではないかと考察もしています」とありますが、
常陸国風土記逸文を読んでも、その意味がわかりません。
「東夷征討」って、人々が平和に暮らす土地を奪おうとする侵略行為でしょ?
勝てば官軍なので、朱塗りの石棺に納めて埋葬されたってわけですか?
ただし大同元年(806)征夷大将軍 坂上田村麻呂が再興したと伝わる
黒坂命を祭神とする黒前神社鎮座の「日立市十王町黒坂」とは離れ過ぎているし、
わざわざ当地まで運んで埋葬しなくてはならない理由がわかりません。
立派な鳥居があった割には小さな石祠が墳頂にありました。
左が稲荷神社、右が厳島神社
低い丘ながらも、登ったおかげで霞ケ浦が見えました。
霞ヶ浦が見えるよう盛り土された円墳だとしたら、
埋葬主はスカ氏などの海人族ではないかと想像されるのですが?
 
拍子抜けしつつも、今日のメインは次の古墳なので
気を取り直して南下します。
ナビを鹿島神社にセットして辿り着きました。
古墳との説があったので来てみましたが、
地元の方は「古墳なんて話は聞いたことがない」と仰います。
周囲を回ってみようとバイクを走らせたら、どの道も行き止まり。
東から北へ回った最終地点から撮りました。
山という感じでもないし、単なるこんもりにしか見えません。
西側から回り込もうとしても、行き止まり。
ただ、全景が見えるポイントがあったので引き返しました。
ここからだと古墳に見えなくもない…。
石碑らしきものがある場所も行き止まりのようですが、行ってみます。
この道を登りたいので、行き止まりにあるお宅に訊いてみよう
と思ったら、ちょうど農具を片づけておられました。
このお宅の上でトンビが旋回しています。
「こんにちは! 鹿島神社へ行きたいのですが、バイクを停めて
柿の木の先に続く道に入らせて頂いても構いませんか?」
「いいですよ。元々は石段のある反対側ではなく、この農道が
参道だったんです。谷のようになっている箇所もありますが
草ぼうぼうで危なかったので、ちょうど今朝から草を刈って
いま終わったところです。歩きやすくなってますよ」
と仰って下さるではありませんか!?
「それはラッキーでした。実は一昨日来るつもりだったので」
と図々しく身勝手なことを申し上げてしまいました。
が、草が刈られた直後だったからこそ、頂上への道が見えたわけです。
ここを登ってゆくと、一気に視界が開けました!
たしかに参道です。草ぼうぼうだったら、どこが道なのかわかりませんでしたね。
地元の方々は古墳じゃないと仰いますし、「黒坂命古墳」のような
案内板も説明書きもありませんが、古墳だと感じた方がいらして
ネットに書き込まれていたことに感謝しました。
不思議な空間に吸い込まれるようにこんもりの中に入りますと、
左手に鹿島神社の社殿が見え、右手に鳥居がありました。
もちろん鳥居を出たら左下が最初に見た石段の入り口でしょう。
こちらの石段は曲がり角に面していて、バイクを停めるのは憚られました。
先ずは全容を見ようと移動したことで、古墳説に共感できた私。
この境内社は、まるで姫宮ですね。
そして、この頂上は周囲が円形に整えられていました。
古墳でなくても、古代の円形祭祀場だった可能性は高そうです。
そんなことを感じながら、てっぺんの真ん中で演奏修行をしていたら
鳥の鳴き声が大きくなってきて自分の声が聞こえなくなりました。
どんどん鳥の種類と数が増えてきたようです。
隣の桜の木にとまって鳴いていて、演奏が終わっても逃げません。
右の枝にもとまっていたので、近づいて撮りました。
キビタキを見たのは初めてでした。ルリビタキは今まで何度も見ましたが。
 
もっとずっと高い樹の上に鳥の巣らしきものがあって
聞いたことのない鳴き声が響き渡っているのですが、姿は見えず…。
昼なお暗き別世界のこんもりを抜けて下界へ戻るとしましょう。
結局のところ何もわかりませんでしたが、単に古墳を見に行ったというより
不思議な古代的空間を垣間見た思いがしました。
古墳の構造を説明されるよりずっとステキな初めての体験でした。