藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

南郷→鵜戸陵墓参考地

南郷までの道のりは長かったのですけれど、やっと人心地がつきました。
↓今こんな感じのお天気です。
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ここプリンスホテルは、ホテルと名乗れるレベルでした。
ペニンシュラと比べてどうこうではなく。
枕崎ではホテルと名のつく施設にツインのシングルユースで泊まり、
価格もプリンスと変わらなかったのに、建物、設備、料理、接客、
様々な面で違い過ぎました……。
私とて倭琴の旅を始めてからは、民宿にも泊まるようになり、
かなり我慢強くなってきています。
しかし!?
昨日は朝食から戻ったら部屋のドアが開けっ放しになっていたのです!!
 
エッ、泥棒?!
と思い、中に入ると、私物のパジャマがたたまれていました。
歯を磨いたあと使おうと思っていたタオルは床に投げ捨てられ、
ゴミ箱はカラッポ!!
 
朝食会場へ行く際、迷いつつも貴重品をまとめたバッグを持って出て
事なきを得ましたが、パジャマを触られて不愉快でした。
「なぜチェックアウト前に部屋を掃除したのですか?」と
フロントに電話で訊いても、モゾモゾ言うだけ…。
「ドアを開けっ放しにするのは非常識ではありませんか?」と言っても
説明も謝罪もなく、チェックアウトの際も無視されました…!?
 
Kちゃんにも申し訳なく、そんな精神的疲れからか、
今日は、電車で移動しつつ、各駅でタクシーを利用するとの予定を変更し、
タクシーで鵜戸~青島~木花をまわって宮崎空港まで行くことにしました。
 
「先ず鵜戸神宮へ行って下さい」と運転手さんに伝えると
「お客さんにピッタリな神社が通り道にありますよ」と言われて
案内された祇園神牛頭天王ですかね?
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しかし…洞窟なら何でもいいというわけではないんですよ…。
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「雨も降ってますし、窓から写真を撮りましたから、先を急いで下さい」
 
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うわっ?! 何ですか、この水は?
鵜戸神宮の駐車場へ向かっていると溢れた水が石段を川にしていました!?
こんな雨の中、山登りをしようっていうんですから大変です。
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空も海も灰色なので良い写真が撮れませんね…。
それより登り口を探さなくては。
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ほぼ頂上付近まで登るんですね…。
もう少し先に進むと、左手に登山口がありそうです。
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あ、ありました「吾平山上陵」鵜戸陵墓参考地。
明治以降、神話にもとづく出雲大社とか橿原神宮とかが登場すると同時に、
あちこちに初代天皇に繋がる神話の登場人物の陵墓が誕生して
宮内庁が認可したり参考地にしたりした歴史があったようですね。
 
鹿屋市の吾平山上陵を再訪したばかりですが、
あちらは宮内庁管轄のようでした。
こちらは「宮内庁書陵部の管轄」と書かれているものの、
宮内庁の看板ではないので鵜戸神宮が管理しているように見えますが?
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向かって左の階段を登るようです。
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和琴ケースを背負って傘をさしているし、
石段が滑るので、かなり時間がかかりそうです。
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でも、この石段のおかげで雨でも登れるんですよね。
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だんだん険しくなってきましたよ、先に倒木が見えるし。
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石段がかなり苔むしているので要注意!
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ここを抜けると陵墓がありそう?
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残念…。少し平坦になりましたが、まだまだ続くようです。
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実は、ここで一瞬、引き返そうかと思ったら、雨なのに蝶が飛んできました。
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心とは裏腹に、足が勝手に動いて前に進んでいます。
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えええ……?! しかし画像に動揺が見られます。
やっぱり下りようか…と、ここで初めて振り返りました。
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海が見えました!! 天気が良くて真っ青な海なら感動したでしょうね。
ここまで登ってきたんだから、もうひと頑張りしましょう。
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もう…石段でもなくなってきましたが。
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木で区切られた階段になりました。もうすぐかな?
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どこまで続くぬかるみぞ…♪
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むむむ…あれが陵墓ですかね?
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特に何も書かれていませんが、あのこんもりが陵墓かと…。
発掘調査などで何か貴重なものが出土していれば書いてあるでしょうし
話題にもなったはずですが、陵墓のまわりには何もありません。
 
眺望も無く、他に撮るべきものもないため下りるとしましょう。
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しかし、この道ですからねぇ…、上りより時間と注意を要します。
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こんな道ありましたっけ?
 
やれやれ…下りるとちょうど1時間経っていました。
気はすすみませんが、一応鵜戸神宮へも行っておきましょう。
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おっ?! 私の苦手な偶像のお迎えです。
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雨はあがりましたね。白秋の短歌ですか…。
「鵜戸の海 夕虹明し まさしくぞ 神降り立たす 天の浮橋
白秋作品はけっこう好きなのですが? 響きとリズムがちょっと…。
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あ!? 釜蓋大明神と同じ、↑お釜の蓋のような鳥居ですよ!!
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地形はなかなかダイナミックだと思うのですけれど…
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人工的建造物が苦手な私ですから…
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本当に↑この一枚だけを撮って、逃げるように駐車場へ戻りました。
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たいそう立派な階段でした。
 
結局、運転手さんには1時間半待っていただきました。
次は青島神社の予定でしたが、1時間の山登りで疲れたのでパス。
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北上しつつ振り返ると、さっき鵜戸神宮で見た境内図の山(神域?)が見えました。
 
30分あまり走って花神へ。
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社殿への階段下にあった「霊泉桜川」。
とても霊泉には見えませんが、霊泉だったのでしょう。
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階段をのぼりました。小高い場所に鎮座しているんですね。
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印象は想像とかなり違いました。
宮崎の花神と言えばコノハナサクヤヒメの足跡があるかと
勝手に妄想していたので…。
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せっかちな私は一枚ずつしか写真を撮らないのでブレていても代りがありません。
読みづらくてすみません。
 
大山津見命なら百済渡来の韓神=三島神で、後裔氏族に阿多君が居ます。
その阿多氏の拠点の一つが阿多隼人の居た薩摩半島
百済神=大山津見命の娘 神阿多都比売(かむあたつひめ)=別名コノハナサクヤヒメと
天孫 邇邇芸命薩摩半島 笠沙の岬で出会って生まれた長男が火照命=海幸彦。
日本神話でその海幸彦を阿多君の始祖にしたということは
コノハナサクヤヒメ同様、百済人の血を引いているとの設定ですね?
もし、コノハナサクヤヒメを
薩摩半島西端とは真逆の青島に近い当地に関連づけたいのなら
ここが阿多・阿田・吾田氏の拠点であったことを証明しなくてはなりません。
 
訪問予定地を端折ったため、出発1時間半前に宮崎空港着。
お昼を過ぎていたので、北海道のサンマ、宮崎のイワシなどを頂きました。
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旅はここまで。あとはホームページに戻ります。