百済国が滅びる前からの瀬戸内の海人族の祭祀は、とうの昔に
朝廷公認の祭祀に変わってしまったと考えるのが自然ですが?
地図で、豊(トヨ)島に豊(トヨ)浜、豊(ユタカ)町に宇津(ウヅ)神社を見つけたら
足を運ばないわけにはまいりません。
もし宇津神社の祭神がアメノウヅメだったとしたら
朝廷の祭祀以前の海人族の祭祀があった可能性が生じます。
神楽歌で言えば《アヂメのワザ》ということになります。
また「とびしま海道」の北(本州側)には
ウカの御魂やウケモチ神を祀る神社が幾つかあり、
神楽歌《薦枕》の歌詞「トヨウカ」「トヨウケ」姫に繋がります。
このMapに島内のGoogle Mapに出ていない道が書かれていたので
原付が急勾配に悲鳴を上げなければ、行きたい場所は全て回れるはずです。
がんばれ Takt !!
今回 Takt で走って渡る橋は、
豊島大橋→豊島へ
中の瀬戸大橋→中ノ島へ
で、同じ道を引き返すため、二度通ることになります。
安芸灘大橋のみ、原付50円也を支払いましたが、あとの橋は無料!
申し訳ない気持ちになりつつも有り難く通らせて頂きました。
晴天なら、南端に夕日の絶景ポイントがあるとバイク屋さんに教わりました。
走行距離が長い上、見るべきものが少ないためか行きも帰りも退屈でした。
海に面した神社や歴史的建造物などは見られませんでした。
楽しいはずのツーリングが、頭部が削られて(?)平たくなった島などを見て
冷水を浴びせかけられた思いになっていたところ、こんな磐が!?
Mapを確認すると「山肌に奇岩怪石群」とありましたが、
自然の造形か、人が手を加えたものかはわかりませんでした。
唯一ギョッとした場所であることは確かです。
「とびしま海道」はまた、トンネルの多さで開通までのご苦労がしのばれました。
三つ目の豊島大橋を渡って豊島へ。
ここでは豊浜のホルトノキ群叢を探します。
豊島では北の海岸線を走り、次の豊浜大橋の方へ南下しました。
この橋の手前右側のようですね…。
地図を確認して路地に入ったものの万事休す!!
いくらなんでも原付で階段はのぼれないため、この鳥居の手前に Takt を停め、
鳥居をくぐって右手の石段を上がってみました。
階段を上がったら、右上に寺が見えました。
地図によると、ホルトノキ群叢はあの寺の奥なんです!?
狭い路地にバイクを停めっぱなしにするわけにはいかないため断念…。
神社は室原神社でした。物部っぽい名前ですが、由緒はわかりません。
この位置から、先ほどの豊浜大橋が見えました。
ではホルトノキは諦めて橋への道を探すとしましょう。
「しまなみ海道」より橋も島も小ぶりなためか
ほとんど迷わずに橋を渡れたのは有り難い限りでした。
ここから島の北部海岸線の中央付近に位置する豊小学校まで走ります。
大崎下島の最高峰449mの一峰寺山山頂へは小学校を右折して登山道に入り
約20分間ひたすら登るそうです。
ひろしま観光ナビに
「※展望台への道は非常に狭く急なので、車酔いに注意。」
と書かれています。が、はたして原付で登り切れるかどうか…。
三角島へのフェリー乗り場がある久比港が見えてきました。
入江の奥に豊小学校があるはずです。あの山なら大したことないな…と思ったら
一峰寺山はもっと奥の島南部にありました。
無事右折すると、早い段階から急勾配で、一気に上がってゆく感じ。
前回の大三島 宇賀神社への道に比べたら、ガードレールはあるし、
道幅も軽四が通れるくらいはあるし、楽勝だな…と思いつつ走っていました。
が、この標識にぶつかり、左手を見た私は「ここからが本番」と悟ったのです。
コンクリート舗装ですよ…。
ここまではほぼアスファルト舗装でしたが、急勾配になると
あの電波塔の左が山頂かと思ったら、そちらへの道はなく、
いったん下って更に登るので、ピークはここからは見えないようです。
とりあえず電波塔まで来ました!
ここをググッとV字ターンし、下り坂を経て到達したトイレから一気に登ります。
登ること21分。やっと視界が開けました!
いや、しかし、まだ先があるようです。
うわぁ「しまなみ海道」ですよ!
この位置から見える橋は来島海峡大橋のはず。
曇っていて残念ですが、晴れていたら靄ることの多い瀬戸内海なので
バイクを走らせながら(片手)では、なかなかピントの合った写真が撮れません。
ただし、ここは山頂ではありませんでした。
あ、こういうの、たいてい嘘ですから…。
行きたくないなぁ…という気分満載で歩き始めました。
ほら、やっぱり嘘だった。100mほど歩いても一峰寺なんて見えません。
この社殿の真裏(下)に着き、そこから鳥居のある南側まで廻り込みつつ登るだけで
100mはありそう…。しかも、ここは一峰寺ではなく水分(みくまり)神社ですよ。
御丁寧に三島神の神紋が刻されてます…。
そして眺望は、ほぼ無し…。
一峰寺は恐らく明治の神仏分離令によって神社になる方を選んだものと
思われますが、何の手がかりも見つかりません。宗派もわかりません。
2-300m下って、Takt を停めた場所まで戻ってきました。
時間を喰ってしまったので、一気に降ります。
ところが、登りで左折した分岐まで来たとき、遠回りだとわかっている島の南端へ
降りようと決めました。北の海岸線は嫌でも帰りに走るので…。
この先を下ってトンネルをくぐると豊町沖友へ出ました。
住吉神社の常夜燈の大きさからも往時の繁栄ぶりが窺えます。
ん? 向こうに見える島は?
すると、右手が大下島、その向こうに見えるのは大三島ではありませんか!?
ここ大崎下島東端をそのまま北に進むと御手洗港。
ここからは宇津神社のある大長港を目指し、海岸線を北西に走ります。
おおお…ここも三島神の支配下になっているではありませんか。
往時、ここが港の入口だったとして、ずいぶん長い参道ですねぇ…。
先が見えないので外の生活道路を走って奥まで行きました。
ええええええ〜?! さっき登った一峰寺山が御神体山ですか?
と思って国土地理院地図で調べたら、真後ろのピークは396mでした。
すると一峰寺山449mは画像左寄りのピークということになりますね。
ただ、当社の
海を臨み山を背負う配置は古代から変わっていないのではないでしょうか?
大きな神社なので由緒書きもありました。
残念ながら、祭神はアメノウヅメノミコトではありませんでした。
由緒に書かれた宇津神社の祭神
まぁ所詮は作り話なので、
伊弉諾(いざなぎ)尊が黄泉国から帰還して禊をしたときに穢れから化成したとも、
「四方四角より疎(うと)び荒(あら)び来む天のまがつひと言ふ神」とあるとも
言われています。
ただし折口信夫博士は
行なわれることから、本来この神は邪神でなく、呪詞が誤誦されたときに
その伝誦の不正を糾す神であったとの説を唱えています。
朝廷の祭祀にとって邪魔になるものが「鬼」「土蜘蛛」「荒」などと呼ばれ
排除されてきた歴史を考えると、大三島における"姉神"排斥とも重なります。
よって、アメノウヅメであれ、セオリツヒメであれ、イハナガヒメであれ、
禍津日神(まがつひのかみ)たる資格を有していると言えそうです。
「マガは曲っていて良くないこと。ツは助詞。ヒは霊力を示し、
朝廷にとって凶事を惹き起こす神」とも説明されていました。
ん? 妙見三千年? 真意を測りかねますが、常識的に考えたらあり得ませんね。
しかし、社殿奥の御神木、ホルトノキじゃありません?
やっぱりそうでした! しかも広島県内最大級。来た甲斐がありました。
人工的なものは、どうしたって自然の力には敵わないような…?
願いが一つ叶ったので、次の願い叶えるために岡村島へ向かいます。
画像真ん中あたりが、さっき宇津神社へ行くために北上を開始した御手洗港です。
観音崎をV字に島南部中央方向へ曲がります。
岡村港フェリー乗り場の手前に、海に面した姫子島神社がありました。
けれど目的地はここではありません。少し進むとありました〜!
関前郵便局の向かいのまるせきカフェです。
開いててよかった~。
自家農園の平飼い自然卵、美味でした。
自家焙煎コーヒーも美味しくいただいて、呉まで帰る元気を得ました。
最短コースをとっても原付だと2時間近く走りっぱなしなので…。
もちろん姫子島神社へも立ち寄りました。
社殿前に立って海の方を振り返ると、ありましたよ「大山祇神社遥拝所」の碑。
祭神がコノハナサクヤヒメときたら完璧でしょう。
結局、社名が残されていても、今日私が足を運んだ神社はすべて
一日中曇りの予報だった今日、たまにしか太陽が見えず、
画像が暗くて残念でした。次回を楽しみに待ちます。
再び大崎下島へ戻ってきました。
一峰寺山から南の沖友へ降りて、ここ平羅橋のたもとまで来たため
帰りは右折して島の北部海岸線を走ります。
夕方5時前の気温が10℃と表示されていました。
雨にも降られず、寒過ぎもせず、快適なツーリングでした。