藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

「後南朝」の遺跡と四季桜

後南朝」を訪ねる旅。
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大和上市駅からタクシーで上北山村を目指しています。
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後南朝 最後の古戦場」の碑を見つけてしまいました。
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ちょうど金剛寺にある「河野宮」墓所へゆくために吉野川を渡ろうとしていました。
地図だと、ここからすぐに見えるのですが、想像できないほど山奥の
高い場所まで登ったので驚きました。その名も「神之谷(こうのたに)」。
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道が狭いので、運転手さんが先まで走ってUターンして下さるそうです。
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横から見ると、要塞のような石組が?!
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これも横から撮っていますが、この先、左手の階段を上ると
正面が金剛寺です。
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スムーズに到達することを拒むような石段の位置と狭さです。
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右に「後南帝菩提寺」とあり、南朝最後の皇子となった自天王(じてんのう)
忠義王(ただよしおう)の兄弟を祀っていることで知られます。
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金剛寺に向かって左手に「河野宮」陵墓比定地があるようです。
あれ? 「尊秀王」とは、後南朝最後の兄弟の父君ではありませんか?
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Uターンした運転手さんが上がってきて下さいました。
「こちらですよ」
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「あ、宮内庁が管理されているんですか?」
宮内庁治定陵墓ということになっているようです」
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ちょっと…文字が判然としませんけれど?
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地元の方が大切に守ってこられた後南朝の史蹟でした。
再び金剛寺までおりると右奥に鳥居が見えました。
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「自天親王」とは「河野宮」と同じ日に殺害された兄「北山宮」のことです。
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当所に暗殺された兄弟の神社がありますが、
「北山宮」の墓所上北山村にあるというので更に南下します。
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「あの建物じゃないでしょうか?」
小橡川を渡ると「北山宮御所址」の石碑がありました。
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ここが上北山村瀧川寺(りゅうせんじ)ですね。
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おおお…「南朝遺跡」とあります。
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しかし、墓所に真っ赤な鳥居…?!
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後南朝最後の血統とされる兄弟が殺されたのは、嘉吉3年(1443)禁闕の変の後、
神璽が後南朝の元にあったからです。
それで長禄元年(1457)に旧赤松家家臣の石見太郎・丹生屋帯刀・上月満吉らが
自天王に仕えると申し出て安心させ、強奪を謀ったそうです。
18歳の「北山宮」と弟「河野宮」が討たれた事件は長禄の変と呼ばれています。
 
上北山村では北山宮(もと若一王子宮?)にも立ち寄りました。
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日が当っていないせいか、さびしい感じでした。
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上北山村でのもう一つの目的は水分神社に咲く「四季桜」を見ることでした。
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小橡の「水分大明神」です。
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雪の中に咲く桜も美しいとは思いますが、暖かい今年は季節を見紛うほどでした。
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12月28日まで残っていてくれてありがとう!と感謝。
 
実は、小橡水分神社にはもう一つの見どころが。
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シシンランはツクバネ樫の木に着生する植物で、
7月頃に直径3cm程の可憐な白い花を咲かせます。
本州南部に生息し、この上北山村が自生の最北限です。
と書かれていました。
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これはシシンランではないのでしょうか?
 
しばし小橡のゆたかな自然と遊び、再び出発点まで戻ります。
小橡川と北山川が合流する要所に八坂神社がありました。
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敷地も広いし、社殿も立派です。
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この謎解きは簡単ですね。
後南朝の遺児を支えていたのは真言宗系の寺院です。
後南朝再起の芽を摘んだ地に北朝方の天台宗八坂神社を置くのは当然でしょう。
ここは交通の要衝で人の出入りをチェックできるのですから。
 
それゆえ私は神社をオセロゲームの駒と呼んでいます。
上北山村大字河合の八坂神社には以前どんな祭神が祀られていたのでしょう?
北山川沿いに北上していると、右岸の上北山村大字西原にも「八阪神社」が!?
いや同じ西原の、今度は左岸に「天ケ瀬八阪神社」がありました。
いずれも数多くの神社を平らげて境内にまとめた様子…。
 
ひたすら北上して見覚えのある場所まで来ました。かの「宮滝」です。
このまま道なりに走れば大和上市駅ですが、突然
「五條吉野線に入って寄り道して いいですか?」とお願いしました。
凄く狭い道を上がると薬師堂?
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安楽寺」のようです。右奥に神社が見えますね!?
地図には御園神社または十二社神社とあります。
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ほう…「十二社権現 天照大神宮」ですか。
吉野には十二社神社が多く、熊野系かと思って来ましたが?
御園神社という名称は住所「吉野町大字御園」から来ているようです。
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さすがに17時半近いのでシャッターが下りづらく、
小ぢんまりした神社なのに全景すら撮れませんでした。
 
「御園(みその)」の地名にひかれて来たものの、帰宅後調べたら、かなり手前の、
以前行った丹生川上神社上社から入った先に自天親王神社がありました。
調べが甘く、残念無念…。再訪の機会を待ちます。