「後南朝」を訪ねる旅。
「後南朝 最後の古戦場」の碑を見つけてしまいました。
地図だと、ここからすぐに見えるのですが、想像できないほど山奥の
高い場所まで登ったので驚きました。その名も「神之谷(こうのたに)」。
道が狭いので、運転手さんが先まで走ってUターンして下さるそうです。
横から見ると、要塞のような石組が?!
これも横から撮っていますが、この先、左手の階段を上ると
正面が金剛寺です。
スムーズに到達することを拒むような石段の位置と狭さです。
忠義王(ただよしおう)の兄弟を祀っていることで知られます。
金剛寺に向かって左手に「河野宮」陵墓比定地があるようです。
Uターンした運転手さんが上がってきて下さいました。
「こちらですよ」
「あ、宮内庁が管理されているんですか?」
「宮内庁治定陵墓ということになっているようです」
ちょっと…文字が判然としませんけれど?
地元の方が大切に守ってこられた後南朝の史蹟でした。
再び金剛寺までおりると右奥に鳥居が見えました。
「自天親王」とは「河野宮」と同じ日に殺害された兄「北山宮」のことです。
当所に暗殺された兄弟の神社がありますが、
「あの建物じゃないでしょうか?」
小橡川を渡ると「北山宮御所址」の石碑がありました。
ここが上北山村の瀧川寺(りゅうせんじ)ですね。
おおお…「南朝遺跡」とあります。
しかし、墓所に真っ赤な鳥居…?!
神璽が後南朝の元にあったからです。
それで長禄元年(1457)に旧赤松家家臣の石見太郎・丹生屋帯刀・上月満吉らが
自天王に仕えると申し出て安心させ、強奪を謀ったそうです。
18歳の「北山宮」と弟「河野宮」が討たれた事件は長禄の変と呼ばれています。
日が当っていないせいか、さびしい感じでした。
小橡の「水分大明神」です。
雪の中に咲く桜も美しいとは思いますが、暖かい今年は季節を見紛うほどでした。
12月28日まで残っていてくれてありがとう!と感謝。
実は、小橡水分神社にはもう一つの見どころが。
シシンランはツクバネ樫の木に着生する植物で、
7月頃に直径3cm程の可憐な白い花を咲かせます。
本州南部に生息し、この上北山村が自生の最北限です。
と書かれていました。
これはシシンランではないのでしょうか?
しばし小橡のゆたかな自然と遊び、再び出発点まで戻ります。
小橡川と北山川が合流する要所に八坂神社がありました。
敷地も広いし、社殿も立派です。
この謎解きは簡単ですね。
ここは交通の要衝で人の出入りをチェックできるのですから。
それゆえ私は神社をオセロゲームの駒と呼んでいます。
上北山村大字河合の八坂神社には以前どんな祭神が祀られていたのでしょう?