単線の鉄道旅に出て困るのは接続の悪さと駅前にタクシーが待機していないこと、
そして駅周辺に全く店舗がないことです。
日本には圧倒的にそういう場所が多いため対策を講じずには出かけられません。
今日は午前中から安曇川へ行き、海人族ゆかりの神社をまわりました。
タクシーで走っていると地図に載っていない神社をたくさん見かけます。
それが非常に興味深く、古くから海人族が住んでいたらしいと感じました。
HPで旅の記録をチェックすると、2014年11月に小浜からバスで近江今津へ出、
タクシーで数社まわって新旭から帰京しており、その時、再び波爾布神社へ
行って今度は必ず演奏すると書いていました。
最初に行ったのがココ!
安曇川町青柳の与呂伎神社です。
「よろぎ」とは鎮座地の旧名「萬木(よろぎ)」から来ているそうです。
かつて近くにあった「万木杜(ゆるぎのもり)」からは弥生時代の集落跡が見つかったとか。
当社の祭神は子守神・勝手神で、近江國高嶋郡の式内社與呂伎神社と
同じく近江國高嶋郡の式内社大水別神社の論社とされています。
樹木の生え方を見ると、まるで水際の社叢です。
安曇川が氾濫したりしたら、この周辺まで水が押し寄せていたのかもしれません。
次がココ! 2014年11月に行った神社と同名の阿志都彌神社です。
ご覧の通り、平地にある神社で、他の訪問先もちょっとした階段程度でした。
再び安曇川町青柳を走っていた時、小さな社殿が目にとまりました。
何となく気になったので裏へまわってみました。
地図には八幡宮とだけ書かれていましたが、元は水神だったのかも?
次に目指したのは安曇川の唐崎神社でした。
あれま!? 合祀されてますね。
西宮神社+唐崎神社がコンパクトにおさまっていました。
波爾布神社への道には、まだ立ち寄りたい場所があります。
お?! 社殿よりも存在感のある磐ですね…。
非常に規模が大きく、全社地をまわり切れなかったのでまた次回。
次は波爾布神社と関係のあるらしい建速神社です。
ここも古墳みたいですね…。
社殿を通り越して奥へ奥へと歩きました。
やっぱり古墳でした。「建速神社古墳群」円墳が七基もあったんですね…。
ここから波爾布神社への道は昔ながらの街道のようでした。
「あ、あぶない!!」「猿がいますね」
「まったく逃げる様子がありませんね」「徐行しますよ」
おおぉ…なつかしの波爾布神社です。
前回は雨で傘をさしていたので周囲を見渡す余裕がありませんでした。
ふと右手を見ると…
え、えぇ~~!? 琵琶湖越しに見えるのは、もしや伊吹山?
驚きと感動の中、勝手に約束した演奏修行をさせて頂きました。
最後にもう一ヶ所「日爪古墳群」を探しました。
「建速神社古墳群」のことも書かれていますね。
こうなると明治以降の社名に惑わされるのは無意味ですね。
そんなことを安曇川で学びました。
結局、予定を1時間オーバーして敦賀着。
電車の本数が少ないため翌朝のことを考えてホテルは敦賀にしました。
乗り換えの待ち時間にチェックインし、荷物を部屋に置いてから
当初の計画通り三方まで行き、日に数本しかないバスに乗りました。
乗っているのは小・中学生ばかり…(ひとり浮いてます!!)。
常神三方線を北上して、終点の一つ手前まで行きます。
三方湖が美しかったのに、バスの車窓からではちゃんと撮れません。
こちらは iPad で撮った西側の海です。
2014年11月15日に行ってタクシーのフロントガラスが割れそうな雹に
見舞われた久須夜岳や、何度も訪れた丹後半島が見えたので驚きました。
なにしろ冬の夕方5時ですから。
ようやく目的地に着きました。常神半島の常神社。
もう5時25分ですから、暗くしか写りません。
わざわざ来たので、良く見えないことを承知で階段を上がったら
拝殿の前に雪が積もっていました!?
滑らないように気をつけながら階段を下り、来た道をバス停まで戻りました。
入り江になっていて海人族の大好きな地形です。
近くには縄文早期の遺跡もあるそうです。古くから人の営みがあったんですねぇ…。
しかしながら、さっき乗って来た最終バスが終点まで行って戻ってくるまでには
まだ30分もあります。人通りも無く、さすがに退屈しました。
しかしながら、昔まだ鉄道など無い時代、アクティヴな乗り物といえば船でした。
だから新しい文化は海からやって来た。そして船でまた次の港へ運ばれてゆく。
そんな空気に触れたくて、わざわざ突端までやってきたのでした。