藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

長ノ国

近年、徳島の農村舞台が充実しているとの話を耳にします。
是非とも行ってみなくては…と思い始めて数年経ってしまいました。
そこで今回は人形浄瑠璃で人気の八屋の犬飼農村舞台へ行ってみることに。
 
その前に私が大好きな高島市波爾布神社天平13年(741)に勧請した
波爾山比賣命の元宮へ行きたく小松島建嶋女祖命神社で待ち合わせをしました。
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この形状を見て、タクシーの運転手さんも
「昔はここが海岸線だったかもしれないですね」と仰っていました。
社殿の裏山は古墳で、勾玉、須恵器、刀剣、鏡、玉類が出土しているそうです。
当社の由緒書を見ると、祭神は建御名方命の妹下照姫とありますが、
『三代実録』には埴生女屋神とあるそうです。
地元と朝廷側の思惑が違っていたのでしょうか?
 
ここからM先生ご夫妻の車に乗せていただき、今日は徳島県の中央部を
グルッとまわって南下するという強行軍です。
凄かったです。徳島は奥が深いです。
 
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犬飼農村舞台へ向かう途中、目立つ楠がありました。
左側の斜面を車で下りてみると徳島市指定保存樹木でした。
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左に見えているのは式内社速雨神社で、『阿波志』(1815)
「速雨祠延喜式亦為小祠在八多村雨宮里水田中金龍寺管之」とあるそうです。
 
この先に犬飼農村舞台のある五王神社が鎮座しています。
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案内板を見ると、石段の上に五王神社、右手の坂を登ると犬飼農村舞台
というふうに受け取れますが、実際には隣接しています。
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この上が農村舞台で、妖精がいました!?
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農村舞台の客席にもなりそうな2段の上に↓五王神社
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ほんとうに素晴らしい空間でした。
 
「犬飼」の名は、この地を治めていた海犬養氏に由来するものでしょう。
犬養部は安閑天皇2年(538)5月の屯倉の大量設置をうけて
8月に国々に設置され、県犬養連、海犬養連、若犬養連、阿曇犬養連の4氏が
存在したことが『日本書紀』『新撰姓氏録』で伝えられています。
 
同じく海犬養氏が治めていたのが佐那河内で、前回素通りした大宮神社
豊玉姫が祀られているらしいとわかり、再訪しました。
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大化元年(645)阿波国が誕生するまで、古代阿波には南方に長国(ながのくに)
北方に粟国(あわのくに)があり、長国には長族、粟国には粟族がいたそうです。
長の国造の祖神「観松比古命」は稲の神で佐那河内御間都比古神社に、
粟の神「大宜都比賣命」は神山の上一宮大粟神社に祀られています。
すると、ここまでは長族(海人族)の長国をまわってきたわけですね。
 
その長国を南下する前に、北上して12番札所焼山寺へ。
焼山寺後醍醐天皇勅願寺で、隠岐流罪中の祈願所は焼火神社でした。
建武の新政で知られる後醍醐天皇の激しさが「焼」の字を好んだのでしょうか?
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周囲の山々の緑があまりに美しかったので、
お遍路さんとも寺院とも無関係に神楽歌を歌っています。
 
しかしながら、こののちの長国縦断は険しい山越えが続き、
対向車が来るたびに車をバックさせていたら2時間走っても次の目的地に着かず、
やむなく端折りましたが、走っているだけで手つかずの自然を堪能できました。