藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

「桜井」は何処?

4/11にUPした「アマの香久山」への補足です。
自国の文化に無関心な日本人と、日本文化への関心が高い韓国人の見解の相違?
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2013年11月18日、私は初めて桜井の「土舞台」を訪れました。
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小高い丘を登ってゆくと、目の前に自然の舞台が広がりました!!
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ここなら数百人の演者と、数百人から千人くらいの聴衆が集まれます。
まさしく土の舞台であり、子どもたちが伎楽を学ぶのにピッタリな環境です。
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桜井市観光協会の看板をアップで撮ってみました。
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他方、2016年4月11日に明日香村豊浦にある甘樫坐(あまかしにます)神社を訪ねたら
手前に豊浦寺(現向原寺)がありました。
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明日香村観光ポータルサイトによれば、
このあたりは推古天皇の豊浦宮や小墾田宮のあった所とも伝えられ、
豊浦宮で即位した推古天皇は603年豊浦宮地と桜井寺地とを交換され、
旧宮跡に桜井寺を移し豊浦寺といい、寺地に移った宮を小墾田宮と称したといわれる。
豊浦寺は由緒からいえば日本最初の寺であり、舒明朝には塔婆が建立され、
持統天皇のときには、飛鳥五大寺の一つであった。とか。
 
その豊浦寺(現向原寺)をバックにする物部尾興が仏像を廃棄したとされる難波池。
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難波池の裏に、豊浦寺(現向原寺)に向かう形で石碑が建てられていました。
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これが、伎楽を伝習した「桜井」の地は、桜井市ではなく、
ここ飛鳥村豊浦にあったとする韓国人学者(?)の新説を顕彰した石碑です。
はたして真相はいかに?
 
今や「聖徳太子」や「大化改新」の存在すら疑われる時代ですので、
小さな「難波池」やこの石碑がなぜ造られたのかを考えてみなくてはなりません。
とはいえ、
『日本古代国家史研究』(原 秀三郎著)を積んだままなので、
律令制的人民支配の成立過程を通じていわゆる『大化改新』の存在を疑う」を
読んでからでないと、何も書けません。
何かひらめいたら後日加筆いたします。
 
と書いたまま忘れていました。申し訳ございません。(2020.3.12記)