先月、飛鳥から天香久山の東麓をまわったのですが、帰宅後
検索したら、頂上まで10分で登れるとわかり再訪しました。
観光トイレの裏が登山口と書かれていて、確かにそこから10分以内でした。
道標のある遊歩道という感じでしょうか? これなら一人でも大丈夫。
香久山は、北麓に天香山神社、南麓に天岩戸神社、頂上には国常立神社があります。
これは…!? ちゃんと雨の日にも登れるようにして下さってますね。
ともに瀬戸内火山帯に属する死火山です。
どんな先住民が居たのか、いつか登ってみたいですね…。
あ、あっけなく着きました。古代祭祀場たる円形の台地。
国常立神社は境内社の高靇社と左右に並び、高靇社の前に壺が埋められている?
旱魃の時に水を入れ替えて雨乞い?
たしかに人は自然の前には無力ですが…。
奈良は桜が満開になった途端に風雨に見舞われたそうで、壺の水は満杯でした。
と書かれていたので下りてみます。
ちょ、ちょ、ちょっと危なっかしい道ではありませんか!?
こんな細い道の先に?
ああ、道幅と同じく狭い場所に鎮座する小さな祠でした。
いったん引き返して更に下ると伊弉册神社。
まぁ実際に足を運んでみるものですねぇ…。
もう麓が見えています。右折したら、先月行った天岩戸神社です。
頂上から7分ほどで下りてきました。
やはり、とても小さくて低い鳥居です。
せっかく再訪したので、前回のように1分で帰らず、奥までまわってみました。
この四つ磐が御神体ですか?
だから建造物は先日見た拝殿(?)だけなんですね。
これで気が済みました。
再びタクシーを呼んで、すぐ北の畝尾都多本(うねをつたもと)神社へ。
先月時間切れで素通りした甘樫丘へ行くには逆方向なのですが。
畝尾都多本神社は「哭澤の神社」(なきさはのもり)とも言われ、
祭神の哭澤女神(なきさはめのかみ)は『古事記』に登場しています。
伊邪那岐が悲しんで泣いた涙から生まれた女神とされているそうです。
社殿に大きな八幡マークがついてます。
ここも"軒を貸して母屋を取られる"パターンかもしれないと思いました。
地図上、隣接しているように見える畝尾坐健土安神社について
運転手さんに訊ねたら、北から東側に回り込むと参道があるようです。
えっ?! 式内名神大社ですか? ↑の社殿が↓これですよ!?
大和国でよく見るフツーの社殿ですよね?
由緒が押しピンで留められていました。
大同元年(806)の畝尾神は当社か隣の都多本神社かわからないとし、
赤埴山にまで言及されていますが、作りものの神話に正解ってあります?
ただ、この付近で先住民と朝廷軍の勢力争いがあったらしいということは
わかりました。甘樫丘の方は時代が新しいのでもっとリアルです。
難波池と甘樫坐神社で歴史の勉強をしました。
しかし「廃仏派の物部尾興」というのも近年では疑われているようです。
その難波池の裏に建てられた「伎楽伝来の地」というのもどうでしょうか?
この先に推古天皇の「豊浦寺」があったとされていました。
ここから甘樫坐神社が見えました。
先客がお見えですね。
煮え湯に手を入れ「正しき者にヤケド無し」とか、あり得ませんよね。
それでも、演奏修行だけは真面目にやる私。
最後に畝火山口神社へ行って貰ったら登山口がありました。
それ以前は何が祀られていたのでしょう?
この華やかな社殿よりもずっと興味が湧きます。いつかきっと登ります!