藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

水戸~ひたちなか

水戸で水戸八幡宮常磐神社酒門神社へ行ってから大洗へ向かいました。
長年行きたいと思っていた大洗磯前神社
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右手に海に向かう鳥居がありました。
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大洗磯前神社の境内には入っていません。
海を見ただけで満足し、次の神社へ向かいました。
 
それにしても景観をそこなう人工建造物の多いこと…。↓ネズミ?
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崩壊寸前で放置された危なかっしい社殿も少なくありません。
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人はなぜ磐座信仰から神社建設へと軸足を移したのでしょうか?
せっかく建てたのなら、ずっとメンテナンスして欲しいと思いますが、
氏子が3世帯…と聞くと已む無しとしか言いようがありません。そのうちゼロに?!
 
変わりゆくニッポン、中でも最も危険とされているのが南関東!!
全国各地の電子基準点と呼ばれる地点から全国各地の起伏状態をミリ単位で測量し
地殻変動を解析することで地震予知を的中させてきた村井俊治東大名誉教授に
よれば、南関東周辺は震度5以上の地震の可能性および緊急性が高いそうで、
関東の住人たる私も常に「まな板の上のコイ」状態でございます。
 
村井氏が南関東を警戒する理由の一つは、静岡の伊豆半島西部の戸田や
駿河湾付近の御前崎が沈降し、静岡の函南との高低差が6.8cmに拡張している点。
南関東における土地の隆起と沈降の境界に大きなゆがみが生じ、
エネルギーが蓄積され続けているためということのようです。
恐ろしいですね…神社も崩壊して見られなくなる日が来るやもしれません。
 
本日最初の水戸八幡宮。本殿が重要文化財でした。
この建物を那珂西へ移築した後、水戸に戻したというのは信じられません。
御神体は遷しても佐竹義宣が建てた本殿は水戸にあったということでしょうか?
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ここから南下して徳川光圀公と徳川斉昭公を祭神とする常磐神社へ。
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もちろん「すごいもの」は見ていません。この位置から千波湖を見ました。
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さすがに(大政奉還の立役者 徳川慶喜の実父が祭神ですから)良い場所にありますね~。
明治6年(1873)明治天皇の勅旨により「常磐神社」の神号を賜り、
翌7年(1874)、現在地に建立されたそうです。
 
大洗へ向かう途中、立ち寄った酒門神社
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境内にはもう梅が咲いていました。祭神が変わったのかなぁ?
コノハナサクヤヒメと書いてあったので神紋は桜かと思いきや、菊の御紋!?
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大洗から向かった先は白亜紀の地層を見に阿字ヶ浦へ行った2016年2月25日に
立ち寄ったのに何となく怖くて演奏できなかった新宮素鵞神社
祭神もわからずに行き、由緒書を読んで1611年に大日女尊を祀ったのち、
1637年に素鵞神社と合祀されて合体名になったらしいと知りました。
ならば「大日女の歌」を歌うべきであったと思い、出直した次第。
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前回は昼なお闇き参道の迫力に圧されましたが、22日は16時を過ぎており
夕陽が射し込んで明るい感じになっていたので助かりました。
 
無事演奏を了えて水戸駅へ向かう途中に吉田神社があったので立ち寄りました。
残念ながら由緒書がなく、どのような地主神をまとめたのかわかりませんでした。
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幾つもの境内社があり、やはり水戸家の寺社改革の痕跡が?!
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水戸周辺にはまだまだありますね…吉田神社