藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

那智の滝

さて、紀伊半島です。
広いし、魅力的な場所がたくさんありますが、自然が残っているところは
関東からだと交通の便がよくなかったりします(車を運転できるとよいのですが原付のみ…)
今日行く場所は二度目のチャレンジです。一度目は時間が遅く、入れませんでした。
そもそも神社が閉まるという頭が無く、南紀5号に乗ってから確認のため
熊野那智大社に電話をしたら「17時に閉門しますから、それまでに有料道路に
入っていたら出られなくなりますよ」と言われ喫驚!?
それゆえ今回は名古屋発10:01の南紀3号に乗ります。
 
前回は翌朝ゆく予定だった新宮の熊野速玉大社へ電話をかけたら
宮司さんが待っていて下さり、思いがけず時間外に正式参拝させて頂けました。
その時「今の演奏はきれい過ぎて縄文のかおりがしない」と仰って下さったことで
それまで宮廷音楽を勉強していた私の演奏修行が大きく変わりました。
ただただ感謝の一念で、再び演奏を聴いて頂けるよう演奏修行しています!
 
私が紀伊半島に興味を持ったのは小学生の頃。
低学年から読み始めた井上靖の西域モノ(『蒼き狼』『敦煌』『楼蘭』等)に
夢中になっていた私は『補陀落渡海記』(1961)を読んで
小学生ながら「私も補陀落渡海をしたい!!」と強く感じたのでした。
以来、補陀落山青岸渡寺へ行きたいと思い続け、
約半世紀後に辿り着けるかどうか…といったところ。
 
補陀落」はチベットダライ・ラマの「ポタラ」宮と同義語とされ、
中世の日本では、遥か南洋に在ると信じられていました。
それで船から出られないよう釘付けするなどして
単身「補陀落」を目指す「補陀洛渡海」が行なわれたのです。
いま記録に明らかな「補陀落渡海」は那珂湊足摺岬室戸岬など40件を超え、
そのうち25件が補陀洛山寺からの出発なのだとか。
記録のないケースもあるため、実際にはもっと多かったと考えられています。
 
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ずっと山中を走ってきて、尾鷲駅の手前で視界が開けました。銚子川河口です。
あと一時間ほどですね。車両貸切状態で経営が心配になります。
電車遅れてるし、滞在時間はどうなることやら…?
 
新宮から先の景色。車窓からでも心奪われます!!
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やっと来られました、補陀落山
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この浜から「補陀落渡海」したそうです。
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有料道路を上がって青岸渡寺
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熊野那智大社の参道↓。あんなに下から?!
2分で800円の有料道路を使わないと私には無理でした。
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月曜でも物凄い人出の熊野那智大社
補陀落渡海」→「龍宮城」のイメージですか?
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そして何と言っても那智の滝飛瀧神社
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やっと熊野三山をまわり了え、それぞれの違いを実感できました。
電車は遅れたけれど、次の特急に間に合ったし、今日の日に感謝…。