ホテルの晩御飯に間に合わずコンビニ弁当で済ませても行きたい場所。
とはいえ、串本発18:43の特急に乗らないと和歌山まで移動できません。
最も遠い場所を「古座川の一枚岩」に設定し、古座川を遡上することに。
こういう光景を「神さびる」と表現してよいのでしょうか…。
今までに見た、どの川とも表情が違います。
この写真の左手が、古座川の神とも言うべき河内(こうち)神社=河内島です。
地元では「河内様=コオッタマ」と呼ばれているそうです。
巨大な岩盤のようです。
それにしても、水の色のきれいなこと!
私が立って撮影している場所に鳥居のみあって、社殿はありません。
河内神社の祭礼は重要無形民俗文化財に指定されており、
祭のハイライトは、古座の鯨船に装飾を施した三隻の御舟(みふね)が
「河内大明神」の神額を掲げて河内島の周囲をまわる水上渡御だそうです。
いまどき珍しいというか、他地域からの助っ人は参加できず、
純粋に地元だけで運営されているお祭りだと運転手さんに教えて頂きました。
社殿の無い古代信仰という意味では、河内島より少しだけ下流にあった
神戸(こうど)神社も同じでした。
古座川は、旧くは「祓川(はらひがは)」と呼ばれていたそうです。
古座川の月の瀬地区に牡丹岩があり、
少し手前の対岸に、やはり社殿を持たない「祓の宮」があるそうです。
中央のこんもり辺りだと思うのですが、祭礼の日には小舟に乗って渡るという
古式ゆかしい信仰形態がこちらでも守られています。
この「祓の宮」は、空海が開いた霊山「重畳山(かさねやま)」に修験者が入る際、
禊ぎ祓をした場所とも考えられているようです。
「祓の宮」の左(下流)に聳える少女峰(十七ヶ嶽)には次のような伝説がありました。
昔、おふじという名の17才になる美少女が月野瀬村に住んでいました。
その評判を聞いた九龍島を根城とする海賊に追われたおふじは、
必死に逃れようとして、遂に岩山の上に追いつめられて逃げ場を失い、
そこから古座川に身を投げて死んでしまったのだそうです。
古座川では、伝説も信仰も巨巌とともにあったのですね。
さあ、いよいよ司馬遼太郎が舟下りを楽しんだという「一枚岩」です。
「一種類の岩が、継ぎ目も割れ目もなく、わめきたくなるような広さで、
天を劃している」(司馬遼太郎)
「写真だけでは大きさが伝わりませんよね…」と運転手さんと話していて、
「そうか、私が演奏すればいいんだ!」と気づいた次第。
これが高さ100m、幅500mの国指定天然記念物「古座川の一枚岩」で、
ここから車で2-3分の場所に「司馬山荘」があります。
旧庄屋宅がホテルに転用されそうになっていた時、
古座川にふさわしい景観を守るためにと自ら購入し山荘を建てたそうです。
「信号ナシ、コンビニ無し、マンションなし」が売り物の古座川町だけあって
スイスイ走れたため時間が30分余りました。
そこで、2014年5月20日に重畳山へ登った際、演奏せずに通り過ぎた
潮崎本之宮神社を再訪することに。
潮騒を聞きながら、もう来なくていいように?!真面目にやってます。